つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

知識を得るってなんと素晴らしいことか

  昔より多少時間が取れるので、今、本を読む機会が多いです。最近、主に読む本は時代小説なのですが、それに限らず何でも興味があるものなら手にします。つまり、雑学習得の時間になっています。今現在は鈴木貫太郎(元首相、海軍大将)の評伝を読んでいます。それでしみじみ思うことは本を読むことってなんと素晴らしい、新しい知識が身につくって本当に嬉しいなーと。歳を取ると、覚えたと思ってもすぐに忘れることが多いのですが、読んだ時点で知識が増えたことにすごく満足しています。

 受験勉強もそうでしたが、知識を習得することってそんなに楽しいことじゃなかったように記憶します。半分、必要性、惰性に追われて、いやいややっていました。でも、今は違う。わー、長年疑問に思っていたこと、まったく知らない分野で、こんなことが分かったと思うと楽しくなって仕方ありません。これって知識欲?年齢を重ねて今さら知識を使う機会なんて訪れそうにないのですが、知識欲って本当に素晴らしいことなんですね。

 昔、ある私立大学で「国際関係論」の講義を持っていた時に、前の方の机に座って熱心に聞いている男子学生がいました。ワイヤレスマイクを付けていたので、小生は大教室での授業中、よく黒板の前を左右に歩いたり、たまには通路に入って学生の席の近くまで行くこともあったりしたのですが、その時に件(くだん)の学生はずっと小生の動く方を見続けていたのです。ほとんどの学生がうつらうつらしたり、完全に机に突っ伏して寝ていたりする中では異色の存在。その熱心さってなんだろうと思ってある日、授業後その学生に聞いてみました。

 すると、彼は「僕は大学を中退していったん就職して社会に出ました。その時に仕事の中で政治、経済の仕組み、世界の流れに多くの疑問を持った。これって何だろうと思いが募りまして、そこで、もう一度学んでみたくなったのです。今度は貯めた自分の金で大学に入り直しました」というのです。社会で疑問に感じたことを知るために学び直すと決めたこの学生に口頭で敬意を表しました。と同時に、やはり知識欲ってその必要性を感じたときに初めて出てくるものじゃないのかと実感しました。

 小生の経験からすると、受験勉強は大学に入るための手段として必要だと思ったけど、当時、人間を膨らませるため、人生を豊かにするためのものだとは感じていなかったです。そして、大学に入ってからの講義も単位を取るための義務感で、得てしてうつらうつらすることが多かったです。果たして知識が身についていたかどうかは分かりません。ですから、大学の講義出席は大学卒業証明書を取るための一過程でした。むしろ、社会人になってから読んだ本、他人から聞いた話の方がはるかに得るものが多かったように思います。

 今は義務感もなければ、人生を豊かにしようとの積極的な思いもありません。年齢が年齢ですから、得た知識を将来役立てようなどとも考えていません。特別必要性はないのです。ですが、やはり新しい知識を頭の中に入れたいとの思いは強い。生きている限り知識人でいたいという思いからか、本を読み、ネット、ユーチューブで新しい知識を吸収しようとしています。別に恰好いいことを言うわけではないのですが、知らないことを知る、新しい知識を得るってなんと素晴らしいことか。もっと若い時に気づいていれば、酒を飲む量を減らしたりすることもできたのでしょうが…。

 上の写真は、先般東京で大雪になった次の日、横浜の小生自宅近くの降雪風景。東京に比べて降雪量は少ない。これを見る限り、横浜って東京より緯度が低い(赤道寄り)ということが明瞭に分かります。

 それにしても、ラテンの音楽はいい、スペイン語ポルトガル語の歌はいい。