つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

郡上踊りの一体感に涙する

 先週末、香港時代の仲間の車に乗せられて岐阜県郡上市に行き、夏季1か月にわたって踊りまくるかの有名な郡上踊りを見物してきました。もちろん、見物だけにはとどまらず、「ぐじょうーなー」というあのゆるやかなテンポの曲を聴くと、自然と手足が動きだす始末で、最初はその場で振付を覚えるだけの真似事でしたが、振付が意外に簡単と分かると、とうとうこらえきれずに踊りの列に加わってしまいました。
 これは元をただせば、夏に都会の公園などでもやっている盆踊りなどと同じ次元のものでしょう。ただ、都会の盆踊りは見ている人が簡単に輪の中に入れないような拒絶感があるし、音曲もCDかなにかのもので何か味気ない。それに比べて、郡上踊りは、地元の人も、観光の人も、着物を着た人も、普段着の人も、さらには踊りのうまい人も下手な人も一体となって輪を作る。うまい人が下手な人を白い眼で見るような雰囲気も一切ない。踊りたい人は拒まぬ、だれでもイージーに入れる優しさがあるのです。
 櫓で奏でる音曲も完全にナマ演奏。やはり、ナマ演奏はCDを使拡声器で流すものより、はるかに情緒があるし、人間の琴線に触れる。提灯が揺れる古民家の街角、老若男女だれでも受け入れる優しさと一体感、一心不乱に踊りながらも列を乱さぬ整然さ、ああ、日本にはまだこんな魅力的な祭りがあったのか、こんなにも素晴らしい伝統文化が地方に脈づいていたのかと思うと自然と感情が高ぶり、涙が出てきて、日本に生まれてよかったという思いに駆られました。
 妙に感傷的になったのは、ロンドンオリンピックのさまざまな競技で、現地で戦った選手と、それを見つめる数千キロ離れた日本の応援団の一体感、そうした情景を見た後だったからかも知れません。そんなわけで、郡上踊りの振付を覚えた小生も徐々に「仲間に加わりたい」という一体感の気持ちがこみあげてきて、自然に列になだれ込んでいきました。
 郡上踊りの面白いところは、7月14日に始まって9月8日までほぼ1か月と10日間、毎日のように夜行われること。それも毎日、櫓を立てて踊る場所が変わる。昨日は旧町役場前かと思うと今日は市内の普通の街角、さらに明日は城山公園の広場へ。普通の狭い道路の十字路に櫓を建てる時は、踊り手がその周りを二重、三重にして取り囲むので、輪は円にはならない。狭くて隣とぶつかることはいつものことで、だからと言ってだれも文句を言わないし、不便を感じる人もいないでしょう。むしろぶつかればぶつかるほど一体感を感じるのかも知れません。
 8月のお盆のころ、13日から16日までは「徹夜踊り」で夜8時から翌朝4時、5時まで踊るそうな。ずっとナマ演奏ですから、そのプレイヤーである保存会の人たちには本当に頭が下がります。こういうふるさとを愛する人たちの努力がなければ伝統は保てないでしょう。素晴らしい伝統文化とそれを支える地元の人に感動した小旅行でした。
 下の写真は、8月11日夜、郡上市内南部の下日吉町で、狭い街角の十字路に立てられた櫓の周りを取り巻いた老若男女の踊り手。最初のころは踊り手は少なかったのですが、佳境に入った9時ごろには二重、三重の輪になりました。