つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

基地がなくなるともっと危険になる

 沖縄知事選は、驚いたことにいわわゆる革新系の玉城デニー氏が当選しました。故翁長武志前知事を引き継いだ彼らの主張は、辺野古に新ヘリコプター基地を造らせないという一点。この結果、都市の真っただ中にあって最も危険な普天間の基地は当面、固定化されてしまいました。県民はどうしてこんな選択ができるのか、国全体の安全保障のことをどうして考えないのか、大いに疑問に思ってしまいます。
 もともと「沖縄に基地は多すぎる。だから、もう要らない」という主張があることは、小生も承知しています。世の中は、いや我が国のすべての周辺国が友好的で、他国に対し覇権主義的な姿勢を示さないのであれば、沖縄に基地なんで要らないのでしょう。でも、今の中国の姿勢、尖閣諸島に対する軍事的圧力、北朝鮮の核保有を見れば、彼らの動向を監視し、軍事的冒険をさせないために一定の武力の配置はどうしても必要でしょう。そう考えられない人は無知としか言いようがありません。
 確かに、オスプレイが飛ばなければ、落ちることはありません。でも、その墜落の危険性と比べて、基地を持たないで他国の圧力を受け、国家の主権を損なうことの方がどれだけ危険であるか。ちょっとだけ深く考えれば、だれでも分かることです。中国はこれまで尖閣ばかりか、「沖縄は未確定の領土」と宣言し、隙あれば、自らの版図の中に収めようとしています。そういう国がある現実から目をそらしてはなりません。
 国際社会はアナーキーで冷厳です。力のある国がより広い領土、支配海域を得ようとし、軍事的に弱い国を脅そうとします。中国の支配、言うなりになるのなら、「中国の下での平和」の選択もあるのでしょうが、残念ながら、中国は人権、自由もない。われわれが当たり前のように享受する言論、結社の自由もない。そんな国の支配下に入ることができるのか、沖縄の人はもっと考えるべきです。
 中国の海洋への軍事的な進出に対抗するために、地政学的に見て(尖閣諸島に近い)沖縄の基地は絶対に必要です。人権と自由を守るために、米軍と提携して沖縄に一定の軍事力を保持することは必要なのです。その枠組みを前提にすれば、今の普天間のヘリ基地の危険性を減少させるため、北部の山間、沿岸部にある辺野古への移設は、今取りうるもっとも好ましい選択ではないですか。
 このまま、普天間の基地を固定化させ、再びヘリコプターの大事故が起こったら、玉城新知事の勢力は何と言うか。恐らく「基地があるからだ。基地をなくせ」と主張するのでしょう。でもこれは、小生から言わせれば、いや、ちょっとでも国の安全保障を考えている人から見れば、木を見て森を見ない暴論としか思えません。もう少し、国家レベルでものを考えませんか。一方的に「平和、平和」と叫んでいれば、平和が来るわけではない。基地がなくなるともっと危険になることも考えておくべきです。

 上の写真は、トルコ西部にあるトロイ遺跡に再現された「トロイの木馬」(ホメロス叙事詩から)。木馬の中に潜んだギリシャ兵がトルコ側の要塞に侵入し、中を壊滅させた。沖縄のいわゆる革新勢力も「トロイの木馬」にならなければ良いが、、。