つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

辺野古への基地移転は早急に進めるべきだ

 沖縄の辺野古での基地建設が始まったようです。宜野湾市の街の真ん中にある普天間のヘリコプター基地を北部名護市の米軍キャンプシュワブがある辺野古に移そうというものであり、現行の普天間の危険性を考えれば、早急に進めなければならないものだと小生は思います。それなのに、辺野古海上には簡易ボートなどに乗った反対派が妨害工作に出ているというではないですか。あきれるというか、何も考えているのか。
 そもそも辺野古にヘリ基地を移転させなければ、普天間は永久に危険な状態に置かれるのです。かつて近くの沖縄国際大学構内にヘリが墜落したことがありました。基地近くの小、中学校は騒音に苦しんでいます。そうした問題を解決するためには、辺野古への移転は急務なのです。人道的問題なのです。それでも反対するというのは、普天間の危険など知らない、永久に普天間に基地があればいいとも思っているエゴイストです。
 基地不要論からの反対もあるようです。まあ、安全保障や抑止論など知らない鳩山元首相が「最低でも県外」などという意味不明なことを言った影響が今でも出ています。沖縄は米軍が第二次大戦末期に血であがなった島ですが、それだけ東アジア全体を見通したうえで、戦略的に重要であるとの認識があったからです。沖縄に基地は必要です。昨今、中国の海洋進出を見るにつけ、ますますその必要性が増してきていると言っていいと思います。
 中国の海洋覇権主義を監視するためには、この地は死活的重要性を持っていますが、そんなことは、国際政治を知らない人でも、すぐに分かること。「最低でも県外」などと何の準備もないまま希望を述べた鳩山氏は、国の安全を預かる首相としては最低の人です。今でも、基地不要論を振りまく人たちは、この鳩山氏と同類でしょう。
 領土、領海防衛は、抑止力、すなわち相応の軍事力がないと危ういというのは、遠い歴史を振り返るまでもなく、1990年代にフィリピンが中国にミスチーフ礁を奪われたことからも、明明白白なのです。国の安全は憲法9条で守られているわけでなく、米軍と自衛隊の合わせた力で保持されているのです。そういうことを理解できないで、基地反対などと叫ぶ人は、一度フィリピンに行って、90年代、米軍がいなくなったあとどんな目に遭ったかをじっくり聞いて来る必要があるでしょう。

 上の写真は、内モンゴルのフフホト市郊外にある王昭君陵墓で売られていた羊のおもちゃ。