つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

沖縄ではまともな安全保障学習ができないのか

 以前、当ブログで書いたことがありますが、1970年代、若者に人気のあった雑誌「朝日ジャーナル」の編集者がまことしやかにこんなことを言っていました。「戦争反対の国が軍備など持っていいものか。私は必要ないと思う」と。今考えると、ずいぶん牧歌的なことを言っているなと感じます。安全保障の理論がまったく分かっていない、ノー天気な理想論ですが、これでも当時は一定の、いや、かなりの同調者がいたから不思議です。でも今は、何の”悪さ”もしていないウクライナがロシアに攻められ、蹂躙されている現状を見れば、軍備は必要であり、非武装では危険であるという点が多く人に理解されるはずです。

 軍備というのは使うためにあるのではなく、潜在的な対外膨張国、侵略願望の強い国に思いとどまらせるための備えです。つまり、抑止力として存在するんだという点を小生は大学の授業の中でもたびたび強調してきました。ですが、中東、アフリカなどを除いて実際に露骨に攻められた状況を映像で見ることがなかったので、学生は「抑止力」を理解できなかったと思います。ところが今は、ウクライナが恰好の事例になったと思います。現在、軍備は必要ないと思う人は、一部の旧態依然たる政党の関係者以外ほとんどいないでしょう。

 まあ、「自分が平和を望めば、平和が来る」と無邪気に考える人は相手にしない方がいいのですが、国会議員の中にもそんな人がいるので困ったものです。というのは、いまだに「敵基地攻撃」とか「報復反撃力」とかの言葉を嫌い、「専守防衛の日本がそれでいいのか」と疑問を投げかける人がいます。小生に言わせれば、ばっかじゃなかろうか、です。抑止力の意味を理解していない。あなた方が我が国に攻撃を仕掛けてきたら、同じようにそちらの然るべきところにも攻撃しますよ、我が国はそれだけの能力がありますよと示すのが抑止力なのであって、敵基地攻撃、報復力がなくてどうして抑止力と言えますか。

 先般、沖縄に行った際についでに北部にある米軍キャンプシュワブとその前にある辺野古埋め立て反対派のテント村を視察してきました。テント村には長椅子が並んでいるだけで、いるのはただ一人、若い女性でした。女性は何か椅子の上に絵を描いていました。ちょっと声かけて見ると、きれいな標準語。本州の支援部隊の人だと分かります。こちらを支援者と見たようで、「今日はここでの集会はない。名護の方で別の集会がありますよ」と教えてくれました。まあ、彼女は連絡用に置いている人かと思われます。

 こういう偏った女性に対し安全保障について議論を吹っかけても時間の無駄なので、こちらもあくまで支援者の振りをして話しました。考えてみれば、街中にあって危険極まりない普天間の基地を海岸の辺野古に移すことになぜ反対なのか、その意味がいまだに小生には分かりません。要は、沖縄にすべての米軍基地は要らないということなんでしょうが、これは日本全体の安全保障強化を考えた場合、まったく逆行する行為で、危ない方向です。ちなみに、小生は日本で2番目に米軍基地の多い神奈川県に住んでいます。

 沖縄の基地反対という行動が「琉球は中国の領土」と虎視眈々と狙っている中国を利する行為であることを反対派の連中は分かっていない。いや、それとも、それが分かっている上で、中国の味方をしているのか。ロシアのウクライナ侵攻を見るにつけ、軍事大国は周辺国を威圧して従属させようとしたり、従わない場合は軍事侵攻をしたりします。国家の安全保障、軍事同盟とはそれを阻止するための方策ですが、沖縄の住民は侵攻されない限り侵攻後の事態など考えないようで、ウクライナであった略奪などの現実を見てもまだ自分のことだとは思っていない。

 悲しいかな、それが沖縄の実情。沖縄の地元紙2紙とも、国家の安全保障という観点はまったく書かず、米軍兵士がこんなワルをしたとか、経済は基地依存でいいのかなどという視点でしかものを語りません。それが原因なのでしょうか、沖縄県は依然基地反対の左派系知事が幅を利かせています。困ったものです。沖縄ではまともな安全保障学習ができないのかとしみじみ考えてしまいます。

 上の写真は、沖縄北部・辺野古の米軍基地キャンプシュワブとその前に作られた反対派のテント村。