つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

沖縄の基地移設は「粛々と」進めるべきだ

 菅義偉官房長官が、沖縄県にある米軍普天間基地辺野古移設問題で「粛々と工事を進めていく」という言葉を繰り返したことに対し、翁長雄志知事が「上から目線だ」と批判。菅氏はこれにこたえて「『粛々と』いう言葉は今後使わない」と語ったといいます。しかし、考えてみればへんですよね。粛々がなぜ上から目線なのでしょうか。むしろ「工事を進めていく」というのがそういう意味であって、「粛々と」自体に「上から目線」の意味があるとは思えません。
 まあ、そんな揚げ足取りはともかくとして、「粛々と」という言葉、政治家は好きな言葉のようで、よく使います。実は小生も記者時代に多少なりとも政治家先生と付き合いがあったせいか、割とこの言葉を使います。きのうも新学期を迎えた授業の中で、「これから半年間、粛々と授業を進めていきましょう」と言ったら、学生が「先生は『粛々と』が好きですね。この言葉、今批判されているのを知っていますか」と言われました。
 「粛々と」という言葉、これまた政治家先生の好きな「遺憾である」などと同様にいろいろな意味が含まれているように思います。辞書で調べると、本来は「慎ましく」とか「おごそかに」という意味らしいのですが、政治家は「あまり大騒ぎせず」「順番よく、整然と」というような趣旨で使っています。小生の理解では、「肩肘張らずに」「リラックスして」などの意味合いもあるように思います。
 翁長知事は「粛々と」について「相手に構うことなく」「一方的に」というような感じで受け取ったのかも知れませんが、これは大いなる拡大解釈ではないでしょうか。まあ、知事がどう思おうと、国家の安全保障は一地方自治体の投票行動に左右されることなく、本当に菅官房長官が言うように「粛々と」進めていくことが必要だと思います。
 沖縄ばかりなぜ基地負担が多いのという議論がありますが、それは対中国牽制、沖縄の地政学的位置を考えたら、致し方ないことだと思います。実は、沖縄の次に米軍の基地が多いのが神奈川県で、小生は今、神奈川県の住民です。でも、米軍基地が迷惑施設などと思ったことはありません。国家にとって安全保障がいかに重要かを理解しているからです。
 山本七平さんが言うように、日本人は水と安全は無前提に存在するものと認識し、その確保にあまり神経を使ってきませんでした。ですから、かつては「非武装」などを公然と主張していた政党もあったほどです。(あまりにも荒唐無稽すぎて、結局、支持する人が激減しましたが、、)その辺が海で守られていた日本の歴史的無感覚症で、他国と国境を接している国々の認識と決定的な違いがあります。
 中国が尖閣諸島を狙っているという現実を直視するならば、われわれはもっと安全保障、米軍、自衛隊の基地の重要性を認識すべきです。

上の写真は、先日上野公園に花見に行った時写した西郷さんの銅像高村光雲制作の芸術品を久しぶりにしみじみ眺めてしまいました。