つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

吉本興業、驕りか、あまりにも人情なさ過ぎ

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 昨日、”闇営業”が問題となった吉本興業の芸人、宮迫博之(49)と田村亮(47)両氏の「謝罪会見」なるものを見ましたが、これでしみじみ感じたのは、芸人ってやはりプロダクションにかなり強圧的に支配されているのだなということでした。吉本はビッグネームであり、配下の芸人は数千人いるとのこと。となれば、ご両人程度のタレントは掃いて捨てるほどいる、代わりはなんぼで出てくるとの認識からか、2人をかばおうなどという発想はみじんも感じられませんでした。

 ビートたけしもTBSの夜の番組の中で言っていましたが、芸人が所属プロダクションに弓を引く形で、涙ながらに会見させる状況に至らしめるとは何ということか。たけしによれば、芸人は猿回しの猿、だから猿が真面目な顔で謝る必要はない。むしろ「うちの芸人は配慮が足りなくてどうしょうもない。今後、闇社会、反社会的勢力とは付き合わせないよう注意させます」などとプロダクション側が前面に出て会見して謝れば、済む話です。彼らは別段、重大な犯罪を犯したわけでないのです。単なるケアレスミスの類いです。

 たけしはさらに、「あんな涙ながらに、真面目くさって会見して、あの2人は再びテレビの賑やかし番組に出てきて、冗談を言って悪ふざけできるのか」のようなことを言っていたけど、その通りですね。お笑い芸人は少なくともテレビ、劇場などの公開の場に出てくるときは徹底して笑いを与える存在でなければなりません。われわれが一度でも真面目くさった彼らの顔を公の場で見たあと、再びバカをやっているところを見たら、しらけてしまいますよね。

 だから、昨日の会見は、2人の芸人が自らの商品価値を下げることを自覚した場なんです。さらに、所属プロダクション、吉本興業と決別し、当面仕事をなくすことを認識する場でもあったのです。2人もそれは十分分かっていたと思いますが、已むに已まれずの選択だったのでしょう。同情してあまりあります。そこまで追い詰めたのは吉本の責任であり、彼らが明かした「俺に逆らうやつは許さん、クビだ」みたいな岡本昭彦社長の態度を含めて、小生は憤りを感じました。

 吉本にとってはたかが2人の芸人でしょうが、彼らにしたら家族がいて、生活があり、将来があります。これまでの社への貢献を考慮して、もう少しかばってあげたり、思いやりを示したりすることはできなかったのか。お笑いとは、蔑視やいじめの部分がないとは言えませんが、やはり最後のところで人情、人間関係の温かみを感じさせる部分が必要です。という観点に立つと、今回の吉本の対応は、お笑いヨシモトのイメージをかなり損傷しました。

 小生は舞台劇の吉本新喜劇が好きで、たまにユーチューブで見たりします。その劇中に、必ず主人公を脅すやくざ風の連中や守銭奴が登場します。これまでは何気なく面白がって見ていましたが、これからは「ああ、あのやくざや守銭奴が吉本の幹部そのものなんだ」と思ってしまうかも知れません。

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 上の写真は、小生が通う大学のキャンパスに咲いている花。