つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

内村落下を一面トップで伝える愚かな新聞

 2020東京オリンピックは今、日本勢の活躍で金メダルの獲得数も20個を超え、盛り上がっています。でも、新型コロナウイルスの感染防止の上から、5月26日に「オリンピック開催中止」の社説を掲げた朝日新聞や、同様に反対の立場を貫いている毎日、東京新聞などはオリンピック報道をどうしているんだろう。小生は非常に興味がありましたので、開幕式の翌々日25日、柔道で初っ端の60キロ級に出た高藤直寿選手が金メダルを獲ったあとの報道に注目したのですが、朝日はたった2段の扱い。反対に一面トップに来たのは、同じ日に行われた体操の予選で、内村航平が鉄棒から落下したというニュースでした。

 「内村落下」のニュースは、マット上に倒れ込んだ大きな写真入り。オリンピックで最初の金メダルというプラス情報よりは、マイナス情報を優先させたのです。あきれてものが言えません。内村は開催直前に「『五輪ができない』ではなく、『どうやったらできるのか』そういう方向で考えて欲しい」と訴えていました。これは、五輪に命をかけてきたアスリートにすれば、当然の感覚だし、内村一人の考えでなく、多くのアスリートの考えを代表していると思います。でも、オリンピック中止の世論作りをしてきた朝日にしてみたら、こうした社論に反する言動が許せなかったのでしょう。

 坊主憎けりゃく袈裟まで憎いではないですが、内村の揚げ足取りを狙っていたはずです。そんな時に、早々と鉄棒から落下し、種目別の金メダル獲得の可能性がなくなったことに「偉そうなことを言っていた割には、このざまか」と心中”快哉”を叫び、奇貨として失敗を異常な扱いにしたのだと推察します。内村はこれまでの大会で体操の金メダル獲得に貢献してきたレジェンド的な存在。そんな大選手の失敗を大々的に報じれば、オリンピック全体のマイナスイメージにつながると考えたのではないでしょうか。そうだとしたら、何とひねくれた新聞であろうか。

 よくよく考えてみれば、いわゆる朝毎東の左派系3紙がオリンピック開催に反対するのは当たり前のような気がします。それは、オリンピックの選手は国の代表、国家対国家の競い合いをするわけですから、ナショナリズムとは切り離せないからです。となると、勝利した選手には国旗が掲揚され、金メダルには国歌が演奏される。アプリオリに日の丸、君が代を嫌う左派系にしたら、耐えられない光景でしょう。3紙がオリンピックを嫌う原点はそんなところにあるように思えてなりません。

 ただ、左派が毛嫌いするほど、今の若者に日の丸、君が代に対する嫌悪感はないように思います。これはすでに1999年の国旗、国歌に関する法律で法制化されたということだけでなく、天皇制に関わるという思想性も今は言われないし、戦前の戦争を引きずるという違和感もなくなっています。香港人が大陸の五星紅旗義勇軍行進曲の強制に反対しているのは、現時点で自由のない国の象徴への反発です。今の日本は戦前のような天皇の一極集中支配でなく、自由、民主主義、人権のある国。それらを表すものとして日の丸、君が代は定着していると思います。

 法制化されているので国旗、国歌は公式行事では使われますが、基本的に義務付けはない。要は、国民がどれだけ今の日本を愛し、同胞に親しみを感じているかにかかっているのです。諸外国に比べて日本を素晴らしい国だと思い、同胞に誼みを感じるなら、その表意の道具として日の丸、君が代があって然るべきかと思います。左派系3紙がいつまでも日の丸、君が代に反対し続けていると、若者を中心に読者をなくすように思えてならず、老婆心ながらいささか姿勢を変えた方がよろしいのではないと具申したくなります。

 でも、あ、そうか。若者はすでにネットの活用が中心で、新聞の定期購読者なんていないんですね。今、紙面の活字の熱心な読者は60歳過ぎの高齢者ばかりですか。であれば、老人左翼のために左派系3紙が相変わらずそのスタンスを取り続けるのは分かるような気がします。でも、相手が老人であれば袋小路、長続きはしない。

 上の写真は、伊勢佐木町モールのドン・キホーテ前にある水槽のうつぼ。見ていると、結構飽きない。

https://www.youtube.com/watch?v=5iXuZrsnBSE

 朝ドラマ「エール」に職人役で出てきた歌手が歌っているとか。内人が気に入っているので、ここで取り上げます。