つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

首相秘書官のLGBT発言に差別性があるのか

 記者オフレコの席で「同性婚など見るのも嫌だ」と言った岸田総理の荒井勝喜秘書官が更迭されました。世間では意外にも彼に対する擁護論が出ていないので、アマノジャクの小生としては敢えて擁護論を展開したいと思います。最初に指摘しておきたいのは、オフレコとされた会話がノーズロ(これも禁止用語か)に外に出てしまったこと。最初にオフレコ破りをした毎日新聞は、それなりに言い訳をしていましたが、やはりオフレコと決めた席での発言を報じるのは記者のモラルに反すると思います。

 小生も現役記者として海外にいた若かりし頃、もう一人の大手紙記者と2人で外国外交官を取材し、オフレコを条件にものすごいネタを聞き出しました。小生は大手紙記者に対し「これは大ニュースだから報じましょう」と提案したのですが、その記者は怒り顔で「君が報じるのは勝手だか、僕はしない。(オフレコという)約束は約束だから。もしこれが外に出たら、君は信用をなくすぞ」と言われました。結局、熟慮の結果、記事にするのは止めました。一次の「得点」より、その後長く続く記者人生を大事にしたかったのです。

 オフレコに対する認識、見解は記者それぞれでしょう。例えば、「本当にまずいと思えば絶対口にしない。言葉にするということはある程度流布されたもいいとの思いがあるからだ」と言って、オフレコ内容を報じる人はいます。毎日新聞の記者もどうもそういうスタンスだったようです。でも、今の小生としてはそういう見解は取らない。やはり件の大手紙記者が言うように約束は約束であるから。オフレコはあくまで状況説明、バックブリーフィングであり、その中では個人的な意見として極端な発言も出てきましょう。それを揚げ足取りのように摘み取るのはルール違反です。

 少なくともオフレコ内容を報じるなら、それを言った本人に直接当てて「原稿にするけどいいか」と了解を取るべきで、それで相手が「ノー」と言ったら、おとなしく引き下がるべきです。いわゆる「差別発言」を大勢の記者が同時に聞いているのなら、報じてもそれは特ダネにならないのでしょう。それなら、つまらぬ正義心で抜け駆けして報じてもしょうがない、満足感は得られないはずです。

 2つの目の問題は、秘書官が話した内容が差別発言なのかという点。「LGBTなんて見るのも嫌だ。隣に住んでいると思うと…」という発言は、あくまで秘書官個人の感想、見解であって、これ自体に差別性はないと思います。犬は怖い、蛇は嫌いだ、けばい化粧の女は好きになれないといった類いの発言と一緒でしょう。秘書官はオフレコの席であったので、その本音の感情が出てしまったのです。人間の素直な、ストレートな反応であったと思います。オフレコでは建て前だけの発言では面白くないし、第一会話が盛り上がらない。

 少なくとも同姓愛、その嗜好の人に対し、気持ちが悪いと感じている人は小生も含めて世間にはかなりいると思います。ですが、気持ち悪いと思っても、同性愛に入る人はその人の勝手、わが国は自由な恋愛が許される国ですから、好きにすれば好い。イスラム諸国の中には法律で罰すべきだとか、ムチ打ちの刑が必要などとするところもありますが、小生はこれこそさらに気持ちが悪いやり方だと思います。人間の自由な権利を認める日本国に限っては金輪際あってはならないことです。

 恐らく首相秘書官だってイスラム並みの制度を望んでいるわけではない。人は人、他人がどうするのかは勝手だという許容量は持っていたでしょう。例えば、彼が「LBGTなどという下衆な連中には法的な地位を与えるべきでないし、保護する必要もない」とまで言ったとしたら、確かに差別発言であり、大いに問題だと思います。ですが、彼の発言を見る限り、単なる感想、印象でしかない。それは更迭とはいえ”断罪”し、役人としての将来性を奪ってもいいものかとしみじみ思います。

 上の写真は、横浜みなとみらい地区グランドインターコンチネンタルホテル先のシーバス桟橋。