つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「プーチンのあほう」発言はそれほど問題か

 今日朝、新聞を読んでいたら、「小沢一郎議員は講演会で、精神障害者への差別的な言葉を使って、『プーチン大統領はあほうな独裁者』と表現した」という批判的なベタ記事が掲載されていました。小生は思わず笑ってしまい、しかも首を傾げました。というのは、日本人のほぼ全員、いや世界の95%くらいの人がプーチンに対しそう思っているし、第一「あほう」というのはそれほど酷い言葉なのか。また、主権国に対し無慈悲に侵略戦争を仕掛けたロシアのプーチンをそれほどかばう必要があるのかという点。これはいわゆるあげつらい記事ですが、あまりにも杓子定規的だと思います。

 小生は、「変節漢」「壊し屋」(これらも差別用語か)の異名のある小沢一郎という政治家が好きではない。ですから、かばうつもりはさらさらないのですが、小生が現役記者だとしたら、彼の発言は気にも留めないし、こんな揚げ足取りのような記事を書く気にもさらさらならないでしょう。もし、政治部の記者が書いているとしたら非常に残念。小沢が昨今の政治情勢をどう認識しているのかという視点が大事であり、それを書くべきです。「プーチンのあほう」などの表現はどうでもよい。小生からすれば「あげつらった記者もあほうだ」と思います。

 まず「あほう」について。大阪、関西方面では日常的に使っている言葉ではありませんか。かの地では、バカげたことをした友人によく「ほんまに、あほやな」と言うけど、大阪人はすべて精神障害者を意識してしゃべっているのですか。そんなことはあり得ないでしょう。「あほう」は「ばかな」「馬鹿げた」という意味であり、それほど大きな意味はないということです。まあ「気ちがい」とか「精神異常」とか新聞協会の委員会でも差別用語扱いされている言葉を発したのなら、問題視してもしょうがないかなと思いますが……。

 それからプーチンの資質をどう見るか、という点ですが、小沢が「あほう」と見ているならそれはそれで仕方がないことではありませんか。今、世界のほとんどはウクライナ戦争をロシアの侵略戦争と見ており、日本政府も同様です。ですから、小沢の発言は至極常識的な感覚であり、それを反映しての表現です。もしプーチンをかばって「ロシアのウクライナ”進出”は当然だ。プーチンは有能な指導者」などと言ったら、それこそ大問題です。記者は即記事にしていいと思います。

 小沢の発言は、不特定多数を相手にした講演会の席上でなく、彼の政治塾の講演で出てきたもの。すなわち内輪での話であり、それを記者がいちいち取り上げていいものかという点も気になる。ある政治家が家庭内でかなり過激な発言をし、記者がそれを聞き知ったら、やはり取り上げなくてはならないのか。第一、今、世界の非難の的になっているプーチンについてばか丁寧な表現をしても迫力がありません。内輪の話なら尚のこと、ちょっと過激な言葉になるのは仕方がないでしょう。

 それなのに、書くことに事欠いて揚げ足取りとはあきれてしまいます。まあ、記者が現場にいて取材していましたよという「存在証明」的な記事かも知れませんが……。それにしても、首相秘書官発言のオフレコ破りとか、昨今の記者は許容量が足りない。逆に聞きたいが、記者はそれほど品行方正に生きているのか、いつも新聞協会用語委員会の差別用語を意識して、一切差別的な言葉は使わないのか。日常会話では「あのバカ野郎が」とか「あの記者のあほさ加減にはあきれるよ」とか使ってないですか。自分でもやることを他人がやると非難するようなことは止めるべきです。

 上の写真は、お茶の水駅近くの聖橋上から見た光景。神田川の上に地下鉄丸の内線が走っている。時代小説の取材で神田川湯島聖堂神田明神を見てきました。