つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

後ろから撃たれるロシアの囚人兵士は可哀そう

 テレビのニュースで流れて来る映像を見ると、高層ビルが破壊された風景。てっきり、これは今、ロシア、ウクライナ両軍が激戦を繰り広げている東部戦線のバフムト付近の光景かなと思ってよくよく耳を澄ますと、トルコ東部地震があったところとのことでした。これを見て感じるのは、地震でビルが倒壊するのはある程度仕方ないとしても、そこからそう遠くないところで人間同士が戦い、人為的に建物を破壊し、地震と同じよう光景を作り出している。戦争ってなんて残酷なんだろうと思います。

 ウクライナ国防省の話では、ロシア軍もすでに10万人近い将兵を失っているとの由。そんな数の戦死者を出して、広大な領土を持っているロシアがドンバスのわずかな土地を奪って何の意味があるというのか、もういい加減止めたらどうかとしみじみ思います。真っ先に止めるべきは侵略側のロシア側にあることは論を待ちません。ウクライナは侵略されているのですから、先に止めることはできない、あくまで侵略軍を撃退することしかないのでしょう。その意思がなければ、主権国家は終わりです。

 ドネツク州のバフムト、その近郊のソルダルという町が今、ロシア軍が制圧を目指しているところです。ソルダルは東部最大の都市ハリキュウまで通る主要幹線道路が近くにあり、ウクライナ側にすれば、ここを奪われると全体の士気にかかわるので死守したい。ロシア側はそれを承知しているので、一番残忍なワグネル部隊を配置して、攻撃を仕掛けている。ワグネルはロシア内の囚人を加えているので、兵士の扱いが残酷。昔の日本軍のように肉弾作戦で突撃を繰り返しているのです。

 囚人なんて所詮虫けら、どのみちシャバに出ても役に立たない人間なのだから、戦争で死ぬのがちょうどいいんだとばかり、ワグネル指揮官は囚人を最前線に立たせる。そればかりではない。死ぬのが怖くて突撃をためらう囚人がいると、彼らの後ろに控えている「督戦隊」という親衛隊が「進め―」と叫ぶ。それでも前進を止めたり、まして後方に引き下がろうとする囚人がいたら、督戦隊が容赦なく撃ち殺してしまうのです。

 この光景はかつて第二次大戦のときのソ連軍でもありました。映画「スターリングラード」に出てきます。前進しない兵士に対し、紅軍の政治将校が後ろから前線の兵士に向かって銃を発射していました。小生にとっては、この映画を見て一番ショッキングな場面でした。まあ昔の日本軍も意味のない肉弾突撃はありましたが、督戦の意味で後ろから味方を撃ち殺すといったことはなかったと思います。

 ワグネルでは、最前線行きが怖くて脱走する囚人がいると、見せしめのため、捕まえた後、公開処刑もするとか。ロシア人ってそんなに野蛮だったのか、ロシアってそんなに命の尊厳を無視する国だったのか。これはワグネルだけの特性ではないと思われます。プーチンも自分に反対する政治家、ジャーナリストに対し、エージェントを海外に送ってまでして殺してしまうのですから。気に入らない奴をシベリアなどの不毛の地の収容所に送り込み、そこで凍死、餓死させるのは当たり前のようで、不気味でいやらしい国です。

 でも、小生は昔、北京に住んでいた時に同じアパートメントにいたロシア人ジャーナリストと仲良くしていました。どうもKGBらしかったけど、とてもいい奴でした。彼が北京の赴任を終えて帰国する時、モスクワまで大陸横断鉄道を使って帰ると言うので、夜、北京駅まで見送りに行ったことがありました。握手、ハグして別れた思い出が今でも鮮明に残っています。ロシア人にもいろんな人がいるということか。

 映画「ドクトル・ジバゴ」でも人間愛、家族愛が描かれています。人間とは何かという点を問うたドストエフスキーの小説も素晴らしい。温かみを感じさせるロシア民謡も大好きです。ですが、ウクライナ戦争はそうした良い思いをすべて消し去ってしまうほどです。プーチンとワグネルがロシア全体への良い印象を消し去ってしまうとしたら、本当に悲しんであまりあります。

 上の写真は、昨年夏の京都・清水寺。中国人が浴衣を着てはしゃいでいました。ここ2,3日の寒さに触れると、ああ、早く暖かくならないかなとしみじみ思います。