つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

泥沼にはまった昔の日本軍と今のロシア軍の共通性

 昨年2月24日、ロシア軍がウクライナの3方向から国境線を破り、侵略の第一歩を踏み出したが、今日はその日からちょうど1年経ちました。かつてポーランド電撃戦を展開したナチスドイツ軍を振り返るまでもなく、1年前の光景を見ると、地続きの国は怖い、いつでも隣国に攻め込まれるのだからと思いました。1年くらい経てば普通熱気は冷めるものですが、プーチン指導部とロシアは依然狂気の中にいるとしか思えません。23日のロシアの「祖国防衛の日」の記念大集会を見ると、狂っているのは独りプーチンだけでなく、ロシア人全員じゃないかとさえ思ってしまいます。

 戦前の日本も、中国派遣軍が中華民国の首府南京を陥落させたときに、東京でちょうちん行列があったように、他国を攻めて領土を広げることに対し、国民は掛け値なしに喜びを感じるものなんですね。その時点で、侵略された国の民がどれほど死に、被害を受けるか、さらには攻め込む自国軍の中にどれほどの犠牲者が出たかなどは考えない、敢えて思慮外に置く。ただ領土が増えてよかったという一種の妄想、パラノイア状態に陥っているのかも知れません。

 妄想を作り出す原因は、やはり物事を俯瞰的に見る視点に欠けていることがあると思います。要は、情報量の不足、あるいは一方的な情報ばかりに接しているため。昔の日本人が大本営発表ばかりに接し、世界情勢が分からなかったと同じように、今のロシア人も国営メディアのニュースばかりを聞いて世界のさまざまな情報、意見を聞くことができない。ですから、戦前の日本人が「満蒙は日本の生命線」などという自己中心的なスローガンを信じたように、「ウクライナ進攻は祖国防衛」などというプーチンの言葉を信じてしまうのです。

 それにつけても、言論の自由報道の自由がいかに大切であるかがよく分かります。ロシアは今、国民に自由な発言、意見交換を許していない。戦争反対のための集会、デモもできない。であれば、普通の国民は官制ニュースをベースに物事を考えざるを得ない。その状況下で世論調査をすれば、今でもプーチン支持が8割を超えているというのも不思議ではない。もとより、自由な情報環境の下にない世論調査など意味ないのですが、それでもこの数字は狂気以外の何物でもありませんね。

 そんな中で、VPNサーバーなどを使って海外のニュースに接し、侵略戦争のおろかさ、無意味さを知った国民もいます。そうした”良識派”の多くはすでに国外逃亡しているし、国内に残った人は命が惜しいので口をつぐんでいる。反対運動ができないのですから、その選択しかないのでしょうが……。ただ、テレビに映された祖国防衛記念集会の観客を見ると、何やら皆、妙に冷めた顔をしている。プーチンの煽動的な演説に対しても熱狂でこたえるという感じは見られません。この顔つきから読み取れるのは、本心は戦争反対だが、今は仕方なくプーチンに従っているという諦観なのか。

 戦争が長期になれば、ロシアと西側との乖離がますます進みます。ロシア人はもう二度と欧州諸国に出られないでしょう。ロシア人への嫌悪感は長く残るでしょうね。プーチンとその取り巻きのせいで、今後ロシアの生存区域は限りなく狭められるものと推察されます。同じスラブ民族で血統的にも、文化的にも、言語的にも共通性を持つロシアとウクライナも、虐殺があって、あれだけ激しい対立をしたのであれば、今後停戦になったとしても、二度と感情的に和解などできないでしょう。

 昔の日本軍が中国に侵攻して泥沼にはまり込んだように、ロシアも今、振り上げたこぶしの落としどころが分からないのではないかと思います。全国民を巻き込んで破滅の道に向かうのが、政府内、軍内の勢力がプーチンを排除して、辛うじて破滅を避けるのか。侵略戦争は実に悲しい結末しかないことをロシア国民が知り、現実に8割が戦争支持などというばかげた”世論調査”結果にならないよう祈りたいです。

 上の写真は、横浜・野毛近く吉田町公園のメタセコイア電飾と吉田町バー街。