つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

瀘定橋は観光地になっていた

higurashi-takanori2007-08-18

瀘定橋をご存知でしょうか。
それは、四川省の山奥、大渡河にかかる吊り橋で、中国共産党の紅軍長征史上に名を残すところです。紅軍は貴州省雲南省から四川省に入り、同省では成都を迂回しながら、西側の山岳地帯を北上します。ただ、どうしてもこの大渡河を渡らないと、北方への転戦、抗日根拠地づくりはできません。渡河は避けられないものでした。
意を決して紅軍の決死隊が、対岸に軍閥軍の銃火がとどろく中、鉄鎖だけの橋に横板を渡していくのですが、4人が銃に撃たれ、激流の中に消えていきました。しかし、最後に横板は全部渡され、橋は完成。対岸の軍閥軍を蹴散らして、紅軍は河を渡ることができたわけです。
この瀘定橋は、今、大きな観光地になっていました。小生は、山奥にひっそり横たわる橋をイメージしてきたのですが、予想外でした。タンクトップ姿のお姐さんもハイヒールのあぶなそうな足取りで渡っていましたが、果たして、泥まみれの軍服のまま激流に死んでいった紅軍兵士は、この光景を天上からどう見ているのでしょうか。
昨今、中国では紅色旅行(共産党の聖地を訪ねる旅)が盛ん。瀘定橋の近くには長征博物館もできていて、公費出張と見られる幹部風の人たちでにぎわっていました。
下の写真は、瀘定橋上の筆者。右上の写真は、その橋の鎖を留めてある金棒。なにか立派なものを感じさせる形状です。やはり力のシンボルなのでしょうか。