つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

街づくり専門家の死

 先週末に、ドキュメンタリー映画監督の山谷哲夫氏と久しぶりに会い、ゆったり懇談しました。小生は昔、日本の田舎に嫁いできているフィリピン女性らのルポを書き、本にしましたが、そのときの取材過程で知り合ったのが山谷さんでした。彼は「じゃぱゆきさん」という言葉を創り出し人で、先の戦争の後遺症や異文化交流などを題材にしたドキュメンタリー作家でもあります。小生は失念してしまったのですが、会うのは2年ぶりだと山谷さんは言うのです。前回はご内儀も一緒で、確か日暮里近くの古い街中にあるしもた屋風の酒場でしたが、今回は山谷さん”御用達”の新宿・小田急デパート上の酒場でお会いしました。
 実は今回、あることについて聞くため、小生が久しぶりに彼に電話したのがきっかけでした。それは、山谷さんの高校時代の友だちで、街づくりの専門家である「園(その)」さんが亡くなったこと。園さんは小生もよく存じ上げているのですが、やはり2年以上お会いしていません。昨年暮れ、ご内儀名で年賀欠礼のあいさつ状を受け取ったので、「もしや」と思って山谷さんに電話したところ、やはり昨年7月にお亡くなりになっていました。昨年正月には丁寧な年賀状を受け取っていたので、大変なショックでした。 
 園さんは愉快な人で、大きな体を揺すりながら、いつも冗談を言い、親友の山谷さんと悪口を言い合っていました。小生も北京、上海への中国旅行、園さんの母方の故郷である埼玉県秩父市などにご一緒したことがありました。小生の母親も同じ埼玉の熊谷在郷の出身ですから、その辺で親しみを感じていましたし、氏が街づくりの専門家として秩父市の再生にかけていたことにも、すごい共感をもって見ていました。
 園さんは、かつて3人で旅行したとき、「われわれの名前を並べると、山谷(さんや)その日暮らしだね。いかにも貧乏旅行にふさわしい」と冗談をいっていました。享年は60歳、死因は胃がんとのこと。山谷さんは亡くなる1か月前に会っていたそうですが、その際、あの肥えていた園さんが激やせしていたといいますから、本当にがんは怖いです。
 長野県小布施の街づくりを高く評価して、秩父も同じように盆地の古い風情を残した町並みの再生を考えていたようです。小生も日本の古い町並みは大好きで、秩父が大勢の観光客を引きつけるそんな町に生まれ変わるよう期待したいですし、園さんもあの世から見守っていると思います。合掌。
 写真は、犬を連れて桜木町界隈を散歩の途中ぶつかった根性花。石積みの割れ目に芽を出して、冬に見事に花を咲かせていました。ご立派。