つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

草の根の留学生支援、再考

 小生の小、中学校時代の友人とその父親が株売却資産を元手に、アジア各地から来る留学生を支援する財団を立ち上げ、小生が昨年、その財団の評議員になったという話は以前、この日記で書きました。財団の今年の理事会、評議員会が先日、開かれましたが、会合の最後に、資金を出した父親が感激深げにこれまでの成果を話していました。すでに国に帰ったかつての留学生から結婚式への出席を求められたり、久し振りに日本に来ると、必ず財団本部に立ち寄ったりして、お礼をすると言うのです。そこには、すばらしい個人レベルでの国際交流が展開されています。
 アジアの多くの若者はまだまだ日本のすばらしさを知らないし、日本政府も本当に国のよさを宣伝するといったことをしていません。留学生への配慮も、30万人規模への留学生増加計画を言いながら、十分でない感じがします。そうした中、民間で、草の根でアジアとの連帯を示す友人家のこういう動きは、官の不十分さを補う意味で、とてもすばらしいことです。億を超えるお金を個人で使えば、ずいぶんと楽しいことができるのに、この資金を留学生の支援のために使うということを考えた友人の父親はたいへん立派であり、敬服します。
 人間、死ぬ時に、どんなにうまいものを食べてきたとか、どんなに海外旅行したとか、どんなに女性と遊んだかなどということで満足して死ねないでしょう。世俗的欲望は切りがないし、それで人の心を満足させえないことは明らか。黒沢明の映画「生きる」にもあるように、最後は社会貢献をすることによって、この世に自分が生きた証を残すことではじめて満足できるのではないでしょうか。
 小生も、子供がいないこともあり、大学の授業で知り合った留学生、特に中国から来た学生には最大限親切にしようと思っております。それはせっかく彼らが日本を留学先に選んだのだから、日本をもっと知って、日本人に好意を持ってほしいとの思いがあるからです。魯迅の「藤野先生」とまではいかなくても、その一端でも感じてもらえれば、小生は本望です。
 下の写真は、会合のあとに留学生らを交えたパーティーでの一コマ。財団理事長をしている友人を真ん中にして、友人の家族が留学生が作った出身国の料理を紹介しているところです。