つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

志らく氏のような意見あるのは驚き

 大相撲の貴乃花親方の問題には、もう言及したくないなと思っていたのですが、立川志らくなる落語家が貴乃花親方の処分を決めた日本相撲協会評議員会と池坊保子議長の決定がおかしいと言っているので、再度また見解を述べたくなってしまいました。この人、本当に貴乃花の行動が正常と思っているのだろうか。この人の常識力を考えると、心配になってきます。
 あるサイトによると、池坊議長は「相撲道は礼に始まり礼に終わる。上司であり先輩でもある八角理事長が何度電話しても全く応答がなく、折り返しの電話もないのは著しく礼を欠いていた」と処分の理由を説明。これに対し、志らく氏は「礼を欠いているというが、横綱白鵬はクレームつけて(嘉風戦の件)見苦しかったり、日馬富士も引退じゃなく解雇だろう。『電話に出なさい』って小言で済むこと。それを理由に理事を辞めさせる、おかしいですよ。評議員会だって礼を欠いている。7人のうち、2人が欠席して、5人で(処分を)決めている。世間とものすごくずれていること気づいていない。自分たちが正しいと思っている」とまくし立てたーという内容です。
 彼の論理構成でまずおかしいのは、貴乃花の行動の正当性を主張することなく、「白鵬日馬富士も悪いのだから」と他に転嫁しています。これでは、「みんなが犯罪者であるのだから、一人だけ獄につながれるのはおかしい。みんな無罪にしろ」と言っているようなもので、まるで反論になっていません。また、暴行事件と貴乃花親方の一連の対応問題はまったくの別件で、一緒くたにするべきではないと思います。
 小生も白鵬の処分は軽いと思いますが、だからそれをもって貴乃花の処分を軽くせよというのは論理のすり替えです。日馬富士は立派に「引退」という形で責任を取りました。自分の職業を失うというのはドラスチックな変化であって、これはこれは立派な責任の取り方です。貴乃花は理事から二段階降格といっても、相撲協会の年寄の地位を失うわけでもなく、相撲部屋を没収されるわけでもありません。どちらが大変でしょうか。
 次に志らく氏は「電話に出ないであの程度の処分はおかしい」としています。この人、おそらく会社勤めした経験がないので理解できないと思うけど、社長から電話があって、万一電話に出られなかったから恐縮至極のことだし、出られる状態になったら即電話を返すのが常識というものです。彼自身のことについて言えば、師匠の立川談志から電話が何度か来ても返電せず、無視しっぱなしだったら、これは小言で済みますか。恐らく破門でしょう。
 貴乃花の失礼はこれにとどまりません。危機管理委員会の理事が関連書類を抱えて貴乃花部屋まで訪れ、呼びかけ呼び鈴まで押したのに出てこないというのも、世間の常識からすれば考えられないこと。例えば、本人が出られない、あるいは出る気がないのであれば、家人や弟子たちが代わりに書類の受け取りに出てもいいわけです。それなのに、まったく管理委の理事を”子供の使い”扱いにしたわけですから、これは第三者の目で見ても怒りが込み上げてきます。
 志らく氏が言う「評議委員会に5人しか出ていなかった」という件では、それは委員の自己都合であって、評議委員会側の問題ではありません。2人に別の仕事があったのか、あるいは積極的に貴乃花処分に加担したくなかったか。それは彼らの問題であって、礼を失することにはならないでしょう。何月何日にどこどこで寄席出演の契約を結んでいて、当日志らく師匠がなんらかの自己都合で休んだとしたら「俺が休んだのにどうして寄席を開くのか」と文句言えますか。
 彼は「評議会の決定は世間とものすごくずれている。しかも、そのことに気づいていない」と述べていますが、世間とずれているのはどちらなのか。日馬富士と高の岩の暴力事件では明らかに日馬富士が悪く、それで彼は責任を取りました。問題はそれでなく、その後の貴乃花相撲協会に対する態度の問題です。後者の件に関しては、明らかに貴乃花親方の行動はおかしい。常識を持つ誰が見てもそう思うのですが、志らく氏のような意見の人がいるとは実に驚きです。

 上の写真は、友人のお孫さん。2年前に乳飲み子としてお包みのまま抱いたのに、もうこんなに可愛く成長していました。