つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

一代年寄廃止は白鵬狙いの措置に違いない

 明日月曜日、確か大相撲夏場所の番付が発表される見込みです。番付が出るということはあと2週間後に初日を迎えるわけです。大相撲ファンの小生としては期待感大ですが、今の日本人大関陣で期待が持てそうな人はゼロ。結局、白鵬が”ずる休み”する間、またまたモンゴル人の照ノ富士が勝ってしまいそうで、その意味では若干テンションが下がります。そろそろ千代の富士貴乃花のような強い日本人関取が出現しても良さそうに思いますが、残念ながら関脇以下でもそういう可能性ある人は見られません。

 それはともかく、大相撲本場所のインターバル中、「大相撲の継承発展を考える有識者会議」なる組織が”画期的な”提言を出しました。「一代年寄に存在意義が見いだせない」ので廃止してもいいのではないかということ。その理由は、もともとこの規定は協会の中になかったからだという。これまで大鵬北の湖千代の富士(付与に対し辞退)、貴乃花一代年寄の資格を得ているが、これは特別な扱いであり、本来あってはならないものというのが有識者会議の総意です。

 でも、この提言を素直に理解すると、これは明らかに白鵬を意識したものであることは間違いありません。彼は史上最多の44回も優勝しているので、本来なら前例の4人よりはるかに一代年寄の資格がありましょう。白鵬自身もこの資格に期待して今まで通常の年寄株を入手していなかったとのことで、今回の提言はまさに寝耳に水のショックだったと思います。で、有識者会議がなぜこんな提言をしたか、年寄と力士名が一緒は良くない、一代年寄の部屋はすでになく、廃止には今がチャンスなどといろいろ屁理屈を並べていますが、要は、白鵬にこの資格を与えたくないというのが本音だと思います。

 なぜそういうことになったのか。それはひとえに白鵬の人格が災いしたのだと思います。彼は確かに、運動能力抜群で体力もずば抜けていますし、顔、スタイルもいい。本来は多くのファンがいてもおかしくないのでしょうが、今一つ人気が出ない。それは多くの人が感じている、彼の唯我独尊的な土俵態度です。例えば、右ひじが悪いということでサポーターをしているのに、その右ひじを使って相手のあごにかちあげを食らわすこと。本来はあってはならないことです。それで、サポーターの中に鉄板でも入れているのではないかとの皮肉や悪評が出てきました。

 以前、嘉風との取組で一方的に押し出された際、行司は「ハッケヨイ」と発しているのに、本人は待ったをしたと主張。審判委員もその勝負判定を問題にしていないのに、彼は土俵下にとどまったまま、なかなか取組後の礼に応じませんでした。優勝後の土俵脇インタビューで、勝手に万歳三唱を観客に強要したこともありました。どうも、彼からは謙虚さが感じられません。自分は今、大相撲の第一人者なのだから何もしても良いという雰囲気すら伝わってきます。

 少なくとも日本の伝統スポーツである大相撲に外国から来て参加したのであれば、人一倍その伝統に合わせる謙虚さを示すのが道理だと思います。それがいやなら、自国のモンゴルに大相撲の組織を作り、彼の勝手の運営をすればよいのです。なぜ相撲取りがちょん髷を結うのか、なぜ土俵で手刀を切るのか、塩をまくのか。スポーツとだけとらえる外国人には理解不能でしょうが、それが大相撲なのです。礼に始まり礼に終わるということができない関取であれば、たとい横綱でもあっても、厳しい仕置きが必要でしょう。

 白鵬はすでに日本国籍を取り、引退後の将来は朝青龍日馬富士らと違って、相撲協会に残り、部屋持ち親方となりたいとの意思を示しているそうな。であれば、尚のこと、他の親方、相撲協会の方々と歩調を合わせていかなくてはなりません。自分は44回優勝の大横綱だったなどという態度をつゆ表すべきではありません。貴乃花一代年寄の親方となったあと、「儂は大横綱だった」という鼻持ちならない姿勢が見えました。そういう態度が他の親方から嫌われ、結局、居づらくなって協会から出ざるを得なくなったのです。

 「相撲取り、土俵を去れば(髷を切ったら)、ただのデブ」という川柳がありますが、相撲協会を辞めた貴乃花は今、どうしているのだろう。恵まれた仕事もなく、恐らく厳しい現実に直面しているのではないか。ちやほやされることに慣れた人間がそういう境遇になると相当ショックを受けますが、それが現実です。「辞めてみて、すぐに分かるよ、今の地位」ということでしょうか。

 上の写真は、先日、町田方面に散歩に行ったときに見つけた花。下の方は、昔、横浜・黄金町遊郭で有名だった通りに残る藤の花。