つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

大相撲が日本の伝統背負うと理解されていない

 小生は人種差別主義者ではありませんが、もともと外国人を大相撲の世界に入れるのは反対でした。それは、大相撲は単純にスポーツだけでなく、日本の伝統、もっと言えば神事にも関わるイベントであると考えるからです。という意味で、日本の伝統も神事も分かっていない力士が大相撲で幅を利かせると、大相撲の伝統がかなり歪曲されてしまうだろうなとずっと思ってきました。それはハワイ出身の両横綱の時にはさほど感じなかったのですが、朝青龍白鵬のモンゴル人が横綱になってから強く感じるようになりました。

 今回問題を起こしたのは、やはり白鵬が親方を務める宮城野部屋の北青鵬でした。これで、モンゴル人の親方では日本の伝統文化、伝統競技は守られないだろう、教えられないだろうと強く感じます。北青鵬は弟弟子に対し、睾丸を殴る、バーナーで火あぶりにするなどの暴虐の限りを尽くしたそうです。白鵬はそれを知りながら無視していたとのこと。同じ国の出身者であれば、あり得る庇い立てでしょう。あるいは、現役時代、サポーターをした肘を相手の顔面にぶつけるなど横綱らしからぬ荒技を出しながらも、許されてきた自分の経験からすれば、まあ、睾丸殴りなど大したことはないと判断したのかも知れません。

 力士は入門してから間もなく相撲教習所で大相撲とは何かについて講義を受けます。外国人力士はまだ言葉ができないので、ほとんどは寝ていたと思いますが、北青鵬は5歳から母親とともに札幌に来ているので日本語に不自由さはなかったはずです。ただ、家庭内の生活はモンゴル様式であり、その精神もジンギスハン、フビライハンを思わせるような荒々しいモンゴル人気風のままだったのでしょう。恐らく日本人的な細やかさは身に着かず、日本の伝統文化も受け入れなかった。

 朝青龍もかつて土俵上でナーダム(モンゴルの祭り)の鳳凰の舞のような恰好を見せました。場所を休場して母国に戻り、サッカーに興じるなど勝手な振る舞いも。白鵬も優勝する度に土俵下のインタビューで勝手な要求、行動に出て相撲協会を怒らせました。彼らは、大相撲を単なる格闘技スポーツとだけとらえ、伝統文化の何たるかを理解していないのです。という観点から言えば、白鵬が大相撲の親方になるのは無理。大勢の弟子に伝統文化を伝えるどころか、日本的な生活の美風を教えることも難しいでしょう。

 ただ一つ白鵬を擁護するとすれば、彼の相撲解説はうまい。実に技術論としては理にかなっているし、素晴らしい。いかにエルボーパンチ、猫だましの奇策を使ったとはいえ、彼があの身体で45回も優勝したことが良く分かります。でも、もういい、モンゴル人力士の優勝は。再三ここで書いていますが、やはり大相撲は郷里との一体化があって隆盛するもの。力士と郷土とのつながりがあって、地方巡業という商業イベントが成り立つのです。モンゴル人が勝っても残念ながら、日本の地方で盛り上がりるところはないのです。

 すなわち、商業的な視点から見ても、モンゴル人力士の隆盛がいかに大相撲をアンダーマインしているか、もっと相撲協会は考えるべきです。いや、モンゴル人だけでなく、他の外国人も。今後は外国人のスカウトは止めるべきです。いや、白鵬が今仕組んでいるような、幼児の時から体力的に伸びそうな子供を日本に連れてきてエセ日本人力士にするようなことも止めて欲しい。北青鵬もそうでしたが、今回のケースを見れば分かるように、結局、日本人の精神まで受け入れないのですから。

 霧馬山(霧島)、豊昇龍の大関昇進時と今回の琴の若のそれと世間、メディアの盛り上がりの違いを相撲協会はもっと冷静に見極めて欲しい。国民は日本人力士の活躍を望んでいます。繰り返しますが、個々の相撲部屋は強いモンゴル人力士を抱えれば「米ビツ」となり、潤うかも知れませんが、長い目で見れば、大相撲全体が駄目になってしまうことをもっと肝に銘じるべきです。

 上の写真は香港にある日本レストラン。金鐘回廊にあった一風堂は昼時に長い列がありました。上の方の焼肉レストランは恐らくまがい物の「日式」。日本語が出鱈目ですから。