つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

パワーバランスが安全保障の基本

 毎年、8月初めのこの時期になると、太平洋戦争を振り返るドキュメンタリーやドラマが多くなります。特に、今年は北朝鮮が核実験したり、オバマが非核の方向性を打ち出したりして核問題が焦点になっているせいか、広島、長崎の原爆体験に関するドキュメンタリーなどが多いように感じます。
 小生は、戦争の悲惨さを伝えることは反対ではありませんし、ぜひやってほしい。できれば、北朝鮮や中国にも原爆の恐ろしさを伝えてほしいと思います。ただ、ついでに言えば、こんなひどい兵器だから、単純に持つべきでないという論理、さらに滑稽にも、だれが核を持とうと、こちらは持つべきではないという論理を展開する人がいますが、これにはちょっと異議があります。
 国際政治の中では常識になっているのですが、戦争というのはパワーバランスが極端に崩れたときに起きやすいし、大量破壊兵器も使いやすいのです。03年の米軍のイラク攻撃も、イラクが本当に核などの大量破壊兵器を持っていると確認していたら、米軍は戦争を仕掛けられたかどうか。1945年の広島、長崎の原爆も、もし日本側に同様の原爆を持っていることが分かっていたら、米側は使用したかどうか。
 そういう意味では、北朝鮮の立場に立てば、核を所持して米側に対抗するという論理は分からないこともないのです。核の報復力を持ては、米側もイラクと同じようにおいそれと北朝鮮を攻撃できないのですから。北に一発でも核がある、あるいはそう見せかけることで、金正日体制は安泰なのです。これは、確証破壊戦略、恐怖の均衡などとも言われています。ですから、中国、北朝鮮が核を持つ今、日本が核を永久に放棄するという論は成立しません。
 平和を望むことはだれでも一緒でしょうが、その方法論は左翼のおめでたい「平和主義者」と違います。彼らがなんと言おうが、戦争の抑止はパワーバランスにあり、これによって平和を維持しているということを理解しなくてはなりません。平和、平和を唱えれば平和が来るわけでなく、憲法9条があるから平和があるわけでもなく、ましてや一方的に軍縮すれば平和が来るわけでもありません。拡張主義者に意欲を持たせないための軍事的抑止力が必要なのです。軍事力は使うためにあるのでなく、相手に使わせないためにあるのだということを認識しなければなりません。
 もし、真剣に核廃絶を訴えるなら、ぜひ中国にも北朝鮮にも言い、説き伏せなければなりません。日本に向けている核ミサイルを撤去せよと。オバマ核廃絶発言をしても、現実に米軍が完全核廃絶に動いているわけではないのです。そうした現実を踏まえないと、安全保障は危ういものになります。安全保障は情緒や希望で語るのではなく、冷厳な現実の上にあることを理解し語るべきです。
 下の写真は、柴又帝釈天門前町の風景。夕方5時過ぎなので、人通りも少なくなっています。