つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

ベトナム枯葉剤被害者見て思ったこと

 お盆休みを利用してベトナムと中国を旅行してきました。ベトナムは、香港駐在時代に一回、南部のホーチミン市を訪れたことがありますが、首都ハノイは初めてです。小生も団塊の世代末期で、ベトナム戦争を強烈に記憶している一人だけに、あの米軍の執拗な空爆北ベトナムの人たちはどのように耐えたのかという疑問はずっと持ち続けていました。
 北爆からすでに30年以上、ハノイにはすでに爆撃の傷跡はなく、きれいに復興し、街行く人も屈託ない感じでした。ただ、ハノイから港湾都市のハイフォンに行く途中、休んだ土産物売り場ではその後遺症を見ました。土産物売り場の中で大勢の人たちが働く姿も見せていましたが、ガイド氏によると、彼らは米軍が落とした枯葉剤の被害者であるというのです。確かに、よく見ると、背骨が尖った人、足が不自由な人、一見外見は変わらないのですが、手話などして聾唖である人がいます。枯葉剤の被害で、実はいちばん多いのがこの聾唖の被害であることを今回、初めて知りました。
 この土産物売り場の経営者は、枯葉剤の被害者を集め、土産物の刺繍や彫刻などをさせています。身体障害者である彼らに雇用の機会を与えているのは立派だし、しかも、彼らを外国人が立ち寄る土産物売り場で仕事させて、外国人に枯葉剤の恐ろしさを再認識させているのも意味あることだと感じました。
 ダイオキシンが主成分の枯葉剤は原爆と同じく後遺症をもたらす爆弾です。しかも、聞くところによると、遺伝子異常を引き起こすので、爆弾の直接被害者だけでなく、その子供たちも影響を受けるのです。土産物売り場で働く人たちもほとんどが20代、30代でベトナム戦争終結後に生まれた人たちであり、それだけに後遺症のひどさを感じざるをえません。
 昔から言われていることですが、米国は同じ白人であるドイツに原爆を使ったでしょうか。幸いにも、ドイツは原爆の開発前に降伏しましたが、日本はその犠牲になりました。その心底には、どこか米軍はこちらがアジアの黄色人種だから残酷な爆弾も使うのだろうという思いが消えません。ベトナム枯葉剤も、イラクでの劣化ウラン弾もやはり白人の黄色人蔑視がもたらしたものという見方を取らざるを得ないのです。
 そう考えると、日米同盟があるから、米国が日本を守ってくれるというもの幻想かも知れません。自主独立国としてのきちんとした軍事力を備えることが肝要だと思います。
 下の写真は、ハノイの中心地にある国父故ホーチミン大統領の霊廟。ホーチミンは1969年に死去しましたが、ソ連の支援でその遺体は保存されました。その遺体がこの霊廟にあります。しかし、見た目は蝋人形のようでした。