つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

なぜ望まない勢力が支配者になれるのか

 フランス語の「デジャヴ(既視感)」とは本来、見たこともなことをあたかも見たことがあるように錯覚することを言います。今回のアフガニスタン・カブール空港での光景にこの言葉を使っている人がいますが、ちょっと違います。というのは、これと同じような光景が、1975年、北ベトナム軍がサイゴン(現ホーチミン市)に、クメールルージュがプノンペンに進攻してきた時にも見られたのですから。錯覚でなく過去にあった現実の話。それにしても、46年後、タリバンのカブール占拠で本当に同じことが起きてしまうとは。世界は黙って見守るだけか、見守ることしかできないのでしょうか。

 20年ほど前までのタリバン政権時代は、手に鞭を持った「道徳警察」というのがいて、女性にはブルカという黒ずくめの服を着せ、成人以降は教育を受けさせない。いつも家にいることを義務付けられ、止むを得ない外出時は夫、男性の随行が必要とされました。子供も外で遊べない。だから、ブランコ、シーソーなどの外の遊具は壊された。一部では通学も禁じられたこともあったようです。逆らう者には鞭を打ち、ひどい時は、投石で死刑にするなどの残酷な刑罰も取られていました。

 このタリバン政権は、9・11同時多発テロの報復で米軍がアフガンに進攻して倒されたのですが、当時、現地人民は万歳を叫んでいました。まさに、自由を確保した「解放」という言葉にふさわしい光景でした。ですが、タリバンのアフガン再支配によってこの悪夢が再びやってきたのです。一度自由の良さを知ってしまった多くの人、特に女性は逃げないわけにはいかないでしょう。でも、逃げても辛い。国家を失った民は結局、他国で十分な権利を受けられないまま生活していくしかないのですから。

 それにしても、多くの人民が嫌がる組織、勢力がどうして支配することができるのか。権力者が常に人民と一緒にいるわけではないという点は分かっていても、どうも解せない。もし日本に凶悪な暴力団、あるいは政治制度のまったく違う独裁的な国家がやってきて全土を支配されたら、われわれは受け入れられないでしょう。だが、逃げるとしても、どこに逃げるのか。欧米が難民、貧民を嫌うように、もはや受け入れてくれるところはない。やはり、われわれが望まない支配者が現れたら、自らの土地を守るために戦うしかないのではないかとしみじみ思います。

 アフガン情勢を受け、中国の環球時報は「台湾の人民よ。今のアフガンの状況を良く見ておけ」とうそぶいたとか。いずれ、わが軍が台湾に侵攻した時には同じざまになるんだぞと脅しているんです。この新聞は前にも「台湾も(抑圧されつつある)香港の二の舞になる」とも書いていましたが、こうした言い方には品性の下劣さを感じます。実際、自由も民主主義も人権もない中国が台湾を支配しようとしたら、多くの台湾人はそれに耐えられないでしょう。ではどうするか。

 台湾のある団体が「北京が台湾に攻めてきたら、あなたは台湾を守るために戦うか」という世論調査をしたところ、9割の人が「自分は中国人でなく、台湾人だ」と答えているにもかかわらず、「戦う」と明確に言い切った人は64・3%だったといいます。この数字をどう見るか。小生は少ないと見ます。9割の人が台湾人だと意識しているのなら、同じ比率で「自らの土地を守る」という姿勢を示して欲しいと思います。住む土地とそれを統べる制度というのはある意味、個々の人命より重いのです。

 国家成立の要件は、人民がいて、領土があって、政治制度があるという3条件とされています。それも最大多数の民衆が望む政治形態が一番良い。そのためには民主的に制度の選択ができなければなりません。今、タイ、ミャンマーなどの軍部支配の国、中東や西アジアの異常な宗教概念によって支配される国、ロシア、ベラルーシハンガリーのように民主主義の建前を見せながらも独裁的な国、「政治、経済制度は社会主義で」と高尚なことを言いながら、人民を抑圧する中国、北朝鮮のような国。いずれも住みたくない。

 日本は自由、民主主義、人権が尊重される国だと小生は思っていますから、それを否定する他国が攻めてきて支配しようとしたら逃げずに踏みとどまり、老兵ながらも祖国日本のために戦う気でいます。もうそれほど命を惜しむような年齢でもないし…。

 上の写真は、オリンピックの野球で金メダルを獲った日本チームの表彰式もよう。彼らは祖国の名誉のために必死に戦いました。感動のあまり、テレビ画面を熱写。