つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

タリバンのアンチで日本に女性宰相期待感も

 アフガニスタンタリバンの新政権人事が発表されました。20年前、米国の攻撃によってカブールを追われた時の政府幹部が一定程度「昔の名前で出ています」といった雰囲気で息を吹き返してきました。かつての最高指導者だったオマル師の息子が国防相になったのは二世贔屓の”愛嬌”としても、内務相に米国から国際テロリストに指定された者を就けたのはいかがなものか。女性差別の元凶になった「勧善懲悪省」なる役所も復活させたようです。鞭を持って街中の女性にイスラム道徳心”を植え付けさせる宗教警察も再登場しそうで、自由が束縛される嫌な社会が再び作られそうです。

 イスラム世界では女性への差別があることは一般的で、別にアフガンに限らず、聖地メッカのあるサウジアラビアだって、女性は黒装束を強いられ、自動車を運転できるようになったのはつい最近のこと。世俗主義イスラム教と言われるインドネシアでも、一番戒律が厳しいスマトラ島などでは、男女が夜8時以降会うなんてことはできません。でも、タリバンのやり方はとりわけ異常な感じを受けます。前政権時代は、何と言っても女性に教育を受けさせない、外出するときは真っ黒黒助の外套ブルカを着用しなければならず、しかも夫と一緒でなければ駄目というものです。

 それこそ、女性が夫などに逆らう不快な行為をしたら鼻をちょん切られる、既婚女性が不倫などしようものなら、地面に頭だけ出して埋められ、周りから死ぬまで石をぶつけられるという石打ち処刑もあります。石打ちの刑はタリバンに限らず、イエメンなど原理主義傾向が強いその他のところでも行われています。そのくせイスラムには男性は4人まで妻が持てるという”おいしい”特権があるみたいで、今テレビで活躍中のデヴィ夫人は、インドネシアスカルノ元大統領の第3夫人でした。いわば宗教規律の中に男女差別が組み込まれ、原理主義者が多いところほどその差別が顕著に見られます。

 そんな中、タリバンのアンチテーゼのように、今、日本の事実上の首相選びに女性が登場したのは、大変喜ばしいことではありませんか。女性宰相と言えば、英国のサッチャーが見事な見本を見せてくれました。それ以前にも発展途上国で女性のトップがいなかったわけではないが、サッチャーは知的、美人(これを強調してはまずいですが…)、そしてフォークランド戦争で見られたように対外的にタフな姿勢も持ち合わせていました。小生も昔、北京で取材していた時にサッチャーを目の前で見たことがあります。主張がタフである割には話し方は柔らかく、謙虚な感じがし、好感を持ちました。

 サッチャーと同じように揺るぎない姿勢を見せるのが台湾の蔡英文総統。またこの2人ほどタフな感じが受けませんが、ドイツのメルケル首相、ニュージーランドのアーダーン首相も私欲を持たず、すべて国家のためにという姿勢を感じさせる素晴らしい、魅力的な政治家です。タリバンが女性抑圧の社会を再び作ろうというなら、女性の指導者が一人でも多く出て、自由、民主、人権を大事にする西側先進国の意気込みを示してもらいたいと思います。

 また、中国も、ロシアも、ベラルーシも、ミャンマーも、中央アジアの国々も、独裁性の強い国家はなぜか男性の指導者が多い。ただ、小生は、女性がいつも知的で、私欲がない人たちばかりだという固定観念を持つほど馬鹿単純ではありません。多少なりとも歴史に通じているので、歴史上で私欲にかられ、権力を壟断した女性が数多くいたことも承知しています。でも、現時点の世界で、女性の指導者はなぜか立派な方が多い。高市早苗女史が彼女らに匹敵するほどの人物かどうかは分かりませんが、日本も女性の指導者が出てきてもおかしくないころだと思っています。

 上の写真は野毛山動物園のフラミンゴ。

Pavarotti - Lamento di Federico; Arlesiana, Cilea - YouTube

 パバロッティのフェデリコの嘆き。