つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

侵略志向の指導者に安易な妥協は効かない

 小生が理事をしている環太平洋アジア交流協会は最近、現在英国王立防衛保障研究所(RUSI)の日本代表で元NHK解説委員である秋元千明氏を招き、講演会を開きました。彼の話の中心は、ロシアが2020年ごろからすでにウクライナへの全面侵攻を計画しており、それを西側は把握してとのことでした。要は、英米のエージェントがいかに優れているかを強調したもので、RUSIに関わる彼の立場からすれば、当然の内容かと思います。でも、それを聞いて虚しかったのは、2年前にその兆候をつかんでいながら、なぜに侵攻を防げなかったのかという点です。

 秋元氏の発言で印象に残ったのは、やはりバイデン大統領の外交、国防に関する弱気な政策、発言がプーチンを勇気付けたとのこと。バイデンは昨年の就任早々、アフガニスタンからの米軍撤退を決めました。当時、同国の地方でタリバンが勢いづいており、なんとなく再び首都カブールを奪還するのではないかとの見通しがある中での断固たる決断でした。プーチンはここからバイデンの弱さを感じ、彼が大統領ならウクライナへの全面侵攻も大丈夫だと踏んだのだと秋元氏は言うのです。

 イスラム原理主義を奉戴するタリバンの首都奪還によってアフガンはまたまた、進歩発展無視、女性差別、教育不重視、自由と民主主義とは無縁の国に戻ってしまいました。また秋元氏によれば、ミャンマーでアウンサン・スーチー政権が倒され、軍事政権が復活したことに米国が強く反発せず、世界の自由と民主主義を守るという”警察官”の役目を完全に放棄してしまった。こうしたことがロシアの冒険主義を引き起こした背景にあると言います。

 さらに、2014年にロシアがウクライナクリミア半島の併合の挙に出たことに対し、欧米は制裁措置を発動したものの、それほど強く反発しなかったこともあるとも指摘しました。当時、ロシアは軍事侵攻でなく、クリミア住民への「国民投票」という形を取ったこと、セバストポリという旧ソ連の軍港があり、ロシア人が多く住んでいた―などから、欧米側にはロシア領になっても仕方ないという意識があったのかも知れません。だが、プーチンはこれも欧米の弱さと錯覚し、それではウクライナ全土を奪ってしまおうという野心をみなぎらせたのでしょう。

 国際政治論の中で良く語られることですが、侵略的野心を持つ国家、指導者に安易な妥協をすると、それだけでは終わらない、必ず次の餌食を狙ってくるという考え方があります。ナチスドイツ軍が1938年、チェコズデーテン地方に侵攻、そこを占拠しました。「ドイツ人が多く住んでいるので、もともとドイツ領」というのが根拠。直後に、英、仏、イタリア、ドイツ首脳がこの問題を話し合うためミュンヘンで会議を開きました。結局、チェンバン英首相らは次の大戦争の発生を恐れるあまり弱腰宥和姿勢を示し、ヒットラーの野望を追認してしまったのです。

 で、次の大戦争は防げたのか。結果は逆です。ヒットラーはこれで味をしめ、翌年隣国ポーランドに電撃侵攻しました。理由は「ポーランドでドイツ人がいじめられている」とのこと。「もともとはドイツ領土」という以上に愚にも付かない理由でした。この一連の流れは、欧米がクリミヤ半島の占拠を大事(おおごと)としなかった結果、ウクライナへのロシア全面侵攻を招いた今回のケースとよく似ています。侵略はある日突然来るわけではない。徐々に徐々に準備されるものです。

 ドイツはズデーテン地方占領の前、第一世界大戦後のロカルノ条約で決まっていた、独仏国境に近いラインラントへの軍の進駐はしないという取り決めを1936年に破っています。歴史を振り返れば、このラインラント進駐がドイツ軍拡の大きな兆候でした。秋元氏は、近年、ロシア軍がウクライナ周辺で演習した後、そこにとどまって動かなかったことがあり、それが兆候だと指摘していました。でも、徐々に迫る来る攻勢、危機というのは案外分かりにくいもので、防ぐのはなかなか難しい。

 日本も尖閣諸島の周辺海域に中ロの軍艦が頻繁に来るようになりました。中国は特に少しずつ自らに有利な状況を作り出し、既成事実化する「サラミ戦略」が得意です。ラグビー用語で恐縮ですが、敵側のフォワードが押し出し、少しずつ陣地を獲得することによってやがて味方のゲインラインが破られることは往々にあることです。ですからこれを防ぐには、やはりフォワードの力を強くすること。つまり国家で言えば、軍事力を強くし、防衛ラインを強固にする必要があるんでしょうね。

 上の写真は、池袋西口前にある公園内の「平和の像」と青紫陽花。下の方は、北口にある「中華街」というビル。全館、中国人が経営し、中国人を主たる客とするレストランばかり。