つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

教育は社会発展の原動力、マララの主張際立つ

 江戸時代をバックグラウンドとする時代小説を書いていると、ふっと驚くことがあります。それは、当時の庶民のほとんどが文盲(メディアでは禁止用語ですが、敢えて)で、自分の名前さえ平仮名で書けない人もいること。つまり、文字に頼る記憶がほとんどない状態であり、そんな中で良くいろいろなことが覚えられるなという点。われわれは今、何か新しい言葉を得た時にまず漢字なり、平仮名なり、文字に替えて覚えようとします。江戸時代の文盲人はこの経過がないだけに、その記憶力たるやすごいなと思います。

 特に、手に技術を持つ職人は、師匠から教わったことを紙に落とし込むことなしに、全部記憶していくのでしょう。小生など今、昨日食べた食事のメニューも忘れるぐらいの海馬ですから、とてもできる芸当ではありません。まあ、芸や技術は頭で覚えるのでなく、手足、経験で覚えるものということなのでしょうが、いずれにしても昔の職人の職業観は素晴らしい。飯の種にするために必死だったんでしょうが、、。でも、商人の子弟は言うに及ばず、職人でも、農民でも学ぼうという意識があったようです。文盲よりは文字を覚えた方が良いとはだれもが思ったことでしょう。

 渋沢栄一の伝記を書いた城山三郎の「雄気堂々」を読むと、幕末の農民の向学心がしみじみ感じられます。江戸時代末期には、社会の発展のために学習、学問が大事であるとの認識が末端まで行き渡っていたんですね。それが封建から近代社会へと進む原動力になったのです。日本の近代化はイギリスの産業革命から遅れること100年近くありますが、すぐに追いついたのは江戸時代に武士の支配階級だけでなく、寺子屋や私塾などが各地にあって庶民レベルでも学習熱旺盛で、向上心が満ち溢れていたことにほかなりません。急激な社会発展の基盤はあったのです。

 こうした歴史を見るにつけ、今のタリバン政権下のアフガニスタンはなんと悲劇でしょう。女性に学問を与えないし、職業にも就けさせない。外に出る時は、全身隠しのブルカやチャドルを身にまとえという。生来、ずっとこの状態が続いていたなら、多くの女性は「まぁこんなものか」と思ったかも知れません。だが一度タリバン政権が首都から駆逐されたあとの新政権は女性の社会進出を容認しました。多くの有能な女性が起業し、社会のさまざまな分野に進出しました。

 それなのに、再びタリバンが政権を取ると先祖返り、女性の権利を奪う挙に出ます。社会進出の味を知った女性たちが今さら、「ずっと家にいろ」と言われて納得できるわけがありません。これが本当にイスラムの教えなのか。そうだとしたら、イスラムは社会の進歩、発展にはマイナスということになってしまいます。世の中には実に理不尽なことが多すぎる。何も悪いことをしてないのに、ある日突然隣国から攻められ、家を破壊され、女性はレイプされる。アフガンの女性差別もこれに匹敵するくらいひどい仕打ちです。

 かつてパキスタンにマララちゃんいう小学生がいて、ネットで女子教育の必要性を主張したら、これがパキスタンタリバン武装勢力の逆鱗に触れたようで、下校途中頭を銃撃されてしまいました。彼女はイギリスの病院に運ばれ、奇跡的に助かり、その勇気と主張の素晴らしさが評価され、10代でノーベル平和賞を受けています。今ではパキスタンに戻り、教職に就いているとのこと。主張に沿った見事な生き方であり、平和賞にふさわしい。

 やはり、だれであろうと、教育を受ける権利があり、絶対に必要なこと。それは時の権力者の恣意や宗教上の理由などで妨げられてはなりません。マララ・ユスフザイさんの行動は永遠に評価されるでしょう。逆に、気に入らないことがあれば、子供まで襲撃の対象にするというタリバン系人種の野蛮性は、正当な理由なく隣国に戦車で踏み入った国の指導者の判断同様、永遠に非難の対象として頭に刻み込まれるでしょう。

 上の写真は、みなとみらいモールで行われていた恐竜祭り。下の方は街路樹の花。