つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

三陸の海浜、ハード復旧も生活感がない雰囲気

 今週初めは、2泊3日の日程で東北地方の岩手県宮城県を旅行してきました。今夏は炎暑であったため、北の東北も秋の訪れが遅かったかせいか、平地での紅葉はまだでした。唯一ちょっと山の方にある宮城県北部の鳴子峡では色気づいていました。小生は春の桜より秋の紅葉の方が好きなので、岩山のグラデーションを見ると心が躍ります。仲間うちの話では、鳴子峡の紅葉の模様は行った日の2,3日前にNHKニュースで全国放送されたようで、当日は平日にもかかわらず外国人を含めてものすごい人の群れでした。

 同行者は小中学校の同級生5人です。まず仙台まで新幹線で行って、当地では青葉城だけ散策。その後にレンタカーを調達して宮城、岩手の大平洋側を北上しました。小生は実は、あの震災の翌年友人の車で石巻や女川町などを回っています。石巻の港では、家が壊され、船が破損された状態で陸上にあり、大きながれきが山積みになっている光景を見ています。でも、三陸海岸の方は見ていない。大震災から12年経ってどうなっているのか、現地住民はどうしているのかに大変興味がありました。

 最初は南三陸町のホテルで宿泊。建物は比較的高台に位置し、フロントは5階にあるのですが、風呂は、海浜が間近に見えるように下の方の2階にあります。三陸海浜ホテルは一般的にリアス式の美しい海が見えるのが売りですから。従業員に聴いたところ、大地震の日、津波は海面から20メートル近くあるこの風呂場を襲ったそうです。まさかその時に優雅に風呂に入っていた人はいなかったと思うけど、外壁を含めてすべて破壊されたようで大損害。宿泊客、従業員ともに恐怖心を募らせたことかと思います。

 2泊目の宿泊地は岩手県宮古市浄土ヶ浜上のホテルでした。ここのホテルはかなりの高台にあり、大地震の時に建物自体に津波の影響はなかったと思われます。でも、受けつけフロントや食堂は海がよく見えるよう全面ガラスの仕様になっているので、当日の宿泊客は外洋から押し寄せる大津波に肝を冷やしたことかと思います。われわれが行った日は、天候が荒れてて浄土ヶ浜巡りの船が欠航していたし、ビジターセンターから浄土ヶ浜までの遊歩道には高波が押し寄せていました。

 海は何もない穏やかな日であれば、なんと素晴らしい風景かと見入ってしまいますが、ひとたび荒れると恐い。遊歩道に波がかぶるので、われわれは波が押し寄せる合い間を見計らって歩きました。それでも歩道に当たる波濤は2,3メートルの高さにまで達し、かなりの水量で遊歩道を濡らします。それで、仲間の一人は足元に波をかぶるほどの被害に遭いました。これがもし20メートル近くの津波であったらと思うと、考えただけでぞっとします。

 次の日に陸前高田市に行って、海浜松林で津波に抗して一本だけ残ったという「奇跡の一本松」を見ました。この松は有名になったためか、案内板もあり、しっかりと周りはガードされている。近くには津波で壊された建物もそのまま”震災遺構”として残されていました。さらには二度と津波の被害に遭わないよう高さ20メートル近い分厚な防波堤もあります。つまり、そこは今や立派な震災関連の”観光地”。全国各地から見物客が訪れているようで、驚くことに周辺にビジターセンターがあり、レストランや土産物店も用意されていたのです。震災の被害を逆手に取ったたくましい商魂でしょうか。

 全体的に感じたことは、震災被害に遭った地域はハード的には今や立派に復旧しているのなとの印象。ただ、旧来家が軒を連ねていたところの被災地は、今は新築の家がまばらにしか建っていないし、人間の生活感は感じられません。それを見ると、やはり昔にあったふるさとの温もりある街はもう戻らないのかなという寂しい思いも抱きました。さらに、多くの海浜に建てられた高い防波堤、防潮堤は、確実に人間と家と海との”身近な”つながりを切り離しており、美観的にも感心しない。危険回避の方策とはいえ、美しい海の景色を消した町はどうなんだという思いにかられました。

  上の写真は、宮古浄土ヶ浜での小生と南三陸で見た防波堤。

 上の写真は、野毛呑み屋街のハロウィーン人形。