つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

のど元過ぎれば熱さを忘れるの教訓

 のど元過ぎれば熱さを忘れるという言葉がありますが、昨今の巨人軍選手の野球賭博関係事件を見ると、しみじみそれを感じます。プロ野球界では、かつて黒い霧事件というのがあって一部の有能な選手が永久追放されました。それなのに、巨人の福田とかいう博打付きの投手が野球賭博に手を染めていたとのこと。彼はなぜ過去のマイナス情報を知ろうとしなかったのか、どうしてだれも教えていなかったのか。
 本来普通の頭を持ち、一般常識が理解できる人なら、自分がやっている職業、関係している仕事を賭けの対象にすることがいかに悪であるか、容易に分かるはずです。競馬競輪という公営ギャンブルをやったり、仲間内の麻雀で多少の金のやり取りをするのとは大きな違いがあることは簡単に理解できるはずです。野球漬けのノー天気な人でも、その辺の区別がつかないようでは常識人とは言えませんね。
 そうしたことを選手に徹底指導できていなかった球団の方にも問題があります。「巨人軍選手は紳士たれ」などと日頃からのたまわっていて、球界エリート意識丸出しのかの球団は、今でも選手にひげ面や長髪を認めていません。そこで日本ハム時代にひげもじゃで売っていた小笠原選手は巨人入団に当たり、ひげを剃りました。
 巨人嫌いの内人は「自分の個性を損ねてまで巨人に入りたいのか」と当時小笠原を揶揄していましたが、小生も同じ感覚で、ひげ面などどうでもいいと思っていました。それよりはむしろ、選手が女性問題でトラブルを起こしたり、非合法の賭博(特に野球賭博)などに手を染めないよう私生活上の注意を与えたりすることの方が重要で、より「紳士たれ」の趣旨にかなうと思うのです。
 ちょっと次元が違うけど、「のど元過ぎれば…」の言葉は、2011年の3・11の時にも感じました。小生らは小学校時代に多くの死者を出した三陸地方のチリ地震津波というのを覚えていて、津波が来るとアナウンスされたら、真っ先に高台に避難するのが常識と理解しています。でも、3・11の時にはそれが徹底されていなかったのではないかと思います。
 1993年に奥尻島でも津波があり、多数の死者を出しましたが、これも20年ほど前で、しかも北海道の小島に限られたことであり、比較的若い世代には強い記憶になっていません。そこで、3・11の時に、若い世代を中心に津波の恐ろしさを軽視した嫌いがあったように感じられるのです。ここまでの高さは来ない、まさかという”甘え”、過剰なアンダーエスティメイト(過小評価)があったように思えます。
 3・11も数十年経過すれば、多くの人の記憶から遠ざかるのかも知れません。災害は忘れたころにやってくるとはまさに至言で、災害は人々の心の隙を突いてきます。災害の悲劇は伝承するしかないのですが、実感が湧かない人たちに果たして理解してもらえるのか、、。

 上の写真は、東北自動車道羽生パーキングエリアにある、江戸時代の街並みを再現した「鬼平江戸処」の風景。