つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

あれから1年、長くもあり、短くもあり

 
 上の写真は、石巻市の河口付近を写した一枚。昨年12月、津波から9月後でしたが、川の突堤の上に干上がった魚一匹、残っていました。
 きょう、大震災から1年が過ぎました。この1年、長かったのか、短かったのか。小生にとっては、周辺の人間の去就の面では長かったように感じますし、震災の回復がなされていないことを見ると短いとも思えます。昨年3月11日、あの激しい揺れがあったとき、小生は神田の事務所内にいましたが、古いビルなので揺れも大きく、棚に置かれたものや、デスクのパソコンも落下し、立っているのも覚束ない感じでした。いやーこれは60数年生きてきた中で最高級の強烈な揺れだと実感しました。
 その後、東京や関東近辺でこの地震に遭遇した友人等に体験談を聞いてみると、「自分はこれで死ぬのではないか」との思いをした人が結構いたのは驚きでした。たぶん、この地震の1、2週間前にニュージーランドで起きた地震でビルが崩壊し日本人留学生が多数死亡したために、ビルなどの崩落を恐れたためと見られます。現に、なるほどあの地震直後外を見ると、屋外に逃げ出している人を多く見ました。しかし、小生はそのとき、古いビルの中にいながらも、ここで死ぬなどの激しい恐怖は感じませんでしたし、外に出ようと思わなかったのです。日本の耐震技術を信じていたからでしょうか。
 地震の揺れだけだったら、確かに東北地方だってあんなに死傷者が出ることはなかったはずです。問題は巨大津波です。チリ地震余波の津波被害を実体験した三陸地方の人も含めて、あそこまで大きな津波が襲うことはほとんどの人が考えていなかったのだと思うし、それだけに高台やビルへの退避も甘いものになってしまったのでしょう。人生には「上り坂」「下り坂」のほかに「まさか!」という状況があるのだとだれかが言っていましたが、昨年のきょうもまさに「まさか」の状況でした。
 人間はいつも自分の都合のいいように想定し、それを超えたときには「想定外の事態だから」としてしまいがちですが、今後の戒めとして心のどこかに想定外もありうると考えておかなければなりません。首都圏直下型地震が4年以内に8割の確率で起こりうると言われている昨今、われわれ首都圏に住む人間は特にそうです。東京は外洋に面しておらず、しかも東京湾の外洋に出る出口は房総、三浦の両半島で狭めているので、津波被害は少ないだろうと考えるのは危険。やはり直下ならば、東京湾内で津波が起きるわけですから、津波対策も頭のどこかに入れておかなくてはなりません。
 でも、首都圏直下の場合、もちろん津波よりは老朽ビル、家屋、橋、高速道路の崩壊、火災などのほうがむしろ問題でしょうね。いや、大勢が集まっている場所ではパニックによる将棋倒しなどの混乱もありえます。要は、地震発生時にどこにいるかが重要になりますが、今の地震予報では数秒前の予報でしかなく、1日前から知らせてくれるわけではないので行き先を限定しにくく、直下型をどこにいて遭遇するかはしょせん神のみぞ知ることです。自然災害の多い日本に生まれた人間として、われわれはこの宿命を受け入れなければなりませんが、それでも蟷螂の斧と言われようが、何らかの備えは必要でしょうね。