つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

…を持っていない小心翼々の男

 小生、芸能ニュースにはあまり関心はないのですが、押尾学被告の裁判はちょっと注目しています。というのは、この公判がミーちゃんハーちゃんが裁決を下す裁判員制度の対象裁判であること、さらに、彼の過失性がどこまで悪意に基づくものであると判定されるかに、大いに興味があるからです。
 この男、最初にテレビに出てきたときからすがすがしさを感じさせない、好かぬ男の典型でした。内人などは「この男は根粗暴だと思う。いずれ(刑事上の)問題を起こすよ」と言っていましたが、小生も彼の目つきからして、まあ、まっとうな生活は送れないだろうと見ていました。案の定、麻薬という芸能人にはありがちな事件ですが、人の死が伴う大問題を起こしました。
 事件の概要をここで書く必要はないと思いますが、死亡する可能性を認識しながら救急車を呼ぶのを遅らせたこと、あるいは事件をマネージャーになすりつけようとしたことなど、かなり悪質です。おもしろいことに、公判では、マネージャーに身代わりを頼むときに猫なで声になって「お前の面倒は一生見るから」などと哀願したこともバレバレになりました。本当にお笑い草です。
 なんかけんかは強そうな感じですが、肝っ玉と人間性最低。「お前、男だろう、…を持っているのか」と、だれでも罵倒を浴びせたくなるほどの小心翼々の人間です。こんなやつに殺された女性には本当に同情してしまいます。
 さて、裁判ですが、この男、破廉恥にも無罪を主張しているとか。どうみても、無罪はないでしょう。小生は、事件状況から判断して「認識ある過失」どころか、死ぬことは分かっているが、そうなってもいいとまで考えていたとする、いわゆる「未必の故意」が成立する殺人事件だと思っています。
 裁判員はどういう判断を下すのでしょうか。懲役8年程度でしょうか。芸能人ということがどこまで裁決に影響するのか。この辺も興味がありますね。
 下の写真は、ホノルルのメーンストリートの歩道上でパフォーマンスをする大道芸人。人形のまねごとをする芸ですが、だれも投げ銭をしていないのが気になりました。