つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

絶対に安心、安全はない

 27日付の産経新聞一面コラムに、作家の曽野綾子さんが面白いことを書いていました。最近、「安心して暮らせる」とか「絶対安全でなければ」などとか、やたらと安心、安全を絶対的なものとして認識し、またそれを当然のように求めている人が多いが、果たして世の中、絶対安心、安全などということがあるのだろうか、と女史は疑問を呈しているのです。
 確かに、女史の言う通りで、われわれはある程度、安心、安全だと思いつつも、心のどこかでそれは100%ではないので、注意を怠ってはならないと気を引き締めていかなければなりません。発生確率が低くとも、発生可能性がある限り、リスクヘッジはそれぞれ個々人が考えておかなければないことです。そうすれば、万一、そういう場面に遭遇しても被害を最小で抑えられるのではないでしょうか。
 小生は、ビルの工事現場のわきを通る際には、吊り下げのクレーンが倒れる可能性を想定し、その付近を速く駆け抜けるようにしていますし、もしわきを通行中に倒れてきたら、どう逃げようかと考えます。人通りの少ない夜道で、後ろから速足で近付いてくる人がいれば、一応その動きに注意し、自分に危害を加えそうかどうかを見極めようとします。大方は杞憂で終わりますが、それはそれで必要なことだと思っています。
 今回の東電福島原発の事故でも、被災者は東電に対し、「あなた方は絶対安全だといったではないか」として、攻めていました。しかし、曽野女史が言うように、冷静に考えれば世の中絶対ということはないはずです。こう言うのはたいへん酷ですが、原発の近くに住む人は、放射能漏れの可能性を若干でも想定し、その場合はどうするかということを一応考えておくべきでしょう。絶対安全だと言われれば尚のこと、疑いを持つべきです。
 いや、これは原発周辺に限りません。都会にもさまざまな危険が潜んでいます。ガスタンクもあるし、ガソリンスタンドもある、化学工場も少なくないでしょう。頻繁に走る自動車道の近くでは、車が家に突っ込む場合もあります。堤防が切れて、川が氾濫することも考えられます。そういう本当にレアなケースのことでも一応頭に入れ、自分なりの危険回避を想定しておくことは大事なことだと思っています。
 下の写真は、山東省淄博(ツーボー)市郊外にある鍾乳洞の内部。中国の鍾乳洞はどこも彩色のきんきらきんの照明で、何か不自然で白けてしまいます。白けてすぎてはまずいので、男性のシンボルに似た小型の鍾乳も写してきました。