つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

小池批判とはちゃんちゃらおかしい

 面白いもので、希望の党に希望を託した旧民進党の人たちは希望どころか絶望感に浸るしかなくなりました。希望の党創設のあと、立憲民主党ができるという究極の後出しじゃんけんであったので、希望の党の新鮮味が失われてしまったのです。これは予想外の事だったと思います。
 でも選挙後、落選した旧民進党の候補者はさんざんに希望の党や小池氏に恨み節を述べていたけど、これっておかしいと思いませんか。民進党議員の方が当時人気絶頂の小池女史におんぶにだっことばかり勝手にすり寄り、希望の党のタイトロープにすがろうとしたのであって、小池女史の方から積極的に誘ったわけではないでしょう。
 希望の党が選挙戦でなぜ失速したか。それはいろんな意味で戦略不足であったように感じます。小生は、小池さんが改憲と安保法制で”踏み絵”を作ったことは間違いでなかったと思っています。自民党との二者択一で政権担当政党を選ぶなら、国の基本方針である憲法と安全保障の考え方で大きく違ってはまずいです。
 ただ、希望の党は、自民党との違いがいまいちはっきりしなかったのです。原発、消費税反対を打ち出しましたが対抗、原発自民党も永久にやるとはいっていないし、消費税導入は2年も先の話です。ついでに言えば、今、将来の子供たちのために消費税引き上げは当然だという声が巷の主流であり、消費税反対という目先のポピュリズムに乗ることは危険、これでは票にならないのです。
 かつて、「みんなの党」が自民党の対抗勢力として出てきたとき、自民のビッグガバメントに対しスモールガバメントの方向性を示しました。ミルトン・フリードマンばりの新自由主義はそれなりに説得力があります。ところが今回、小池代表の演説を聞いていても「しがらみのない政治」などと叫ぶだけで方向性がない、聴衆の心に届くものはありませんでした。
 それに比べて、立民の枝野幸男代表の演説の方が迫力があり、分かりやすかった。小生は支持しませんが、現憲法死守という自民、希望とは対立する面を強く打ち出したことで、日本にいる一定数のサヨク票を集めました。でもその分、社共は低落です。社共票が立民に移っただけの話で、彼らの票はしょせん一定数。大きな力にはなれません。
 かつての新自由クラブ、近年維新の会が出てきたときのように、立民もしょせん一過性の勝利。コメンテーターがテレビのワイドショーでは鬼の首を取ったみたいに立民をベタ褒めしていたけど、小生はこの党の議員も次の選挙では大量落選すると見ています。

 上の写真は我が家の愛犬マオ。