つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

「不幸を祝う」とは下等動物の仕儀

 信じられないと言うのか、およそ常識では考えられないと言うべきなのか、われわれにしてみると開いた口が塞がらないような恥ずべき行為が、このほど韓国でありました。日本のサッカーチーム、セレッソ大阪が地元チームと試合をした際、韓国側の応援席に「日本の大地震を祝います」との垂れ幕が出ていたことです。
 かつては、訪米中に9・11事件に遭遇したある中国の代表団にも同じような仕儀があったと聞いています。この団メンバーは、テレビのライブでワールドトレードセンターに航空機が突っ込んで炎上するのを見て、なんと手をたたいて喜んだといいます。これに対して不快感を持った米側の招待主が直ちに彼らの旅程を打ち切り、帰国させました。
 「他人の不幸は蜜の味」と言いますし、まして不快感を抱いている人や国に不幸が起これば、心中「さまあ見ろ」などと思って、ほくそ笑むことはあるかも知れません。しかし、一定の常識人であり、教養人であるならば、たとえそんな感情があったとしても、押し殺して、表面的には不幸な目にあった人や国に最大限のシンパシーを示すのが普通の行動です。
 それを何ですか、「不幸を祝う」とはあまりにも露骨な言い回しです。この垂れ幕を出した連中は、他国の人間とはいえ3万人近い人が死んだことへの”思い”(哀悼とはあえて言いません)はまったくないのでしょうか。まったく下劣で、野蛮で、人間扱いできない下等動物に近い連中の仕儀と言えましょう。
 これが韓国人のごく一部の行為としても、世間はそうは見ません。全世界に知れ渡ることで、世界から嘲笑され、その結果、自らの国家、民族全体を貶めることになります。それとも、多くの韓国人も、彼らの行動を支持しているのでしょうか。「憎っくき日本の不幸なのだから、祝うべきだ」とし、こうした実際行動に出ることを歓迎しているのでしょうか。垂れ幕が長い間出されていたことからすれば、そう思わざるを得ません。
 小生は、最近の韓国の経済活動に対し驚きを感じ、その可能性には端倪すべからざるものありやとの印象を持っていました。しかし、今回の一件から、こんな幼稚な暴言を許しているような社会風土、精神レベルであるようならば、日本はまだまだ安泰だなと思いました。韓国はまだまだ後進国です。当面、日本の脅威になることはないでしょう。
 黒竜江省大慶市は石油の町。それを実感したのは町中のどこででも石油の掘削があったことです。下の写真は、なんと大慶駅真ん前の石油掘削場の風景。