つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

暴力団排除条例?やりすぎはよくない

 10月1日から東京や沖縄で、暴力団排除条例なるものがスタートしたようです。きょう、産経新聞山口組組長のインタビュー記事が出ていましたが、彼によると、暴力団員がだれであろうと一緒に食事をしたりすると、それだけで暴力団関係者とみなされ、処分の対象になるそうです。小生からすれば、こうしたやり方は度が過ぎているし、やりすぎは結局、失敗に終わると思わざるをえません。
 小生が10数年前に駐在していた香港では、確かに黒社会そのものの存在を否定し、黒社会が公に存在することを許さず、ましてやこれに加わっていることを明らかにすることもできませんでした。関係が公になった時点で、個人に逮捕の理由が生じるのです。でも、小生は当時も、これって結社の自由はどうなっているのだろう、やはりやりすぎじゃないのかと思っていました。
 日本には憲法で厳然と結社の自由をうたっているので、さすがに「組織」そのものを否定することはできないのでしょうが、しかし、暴力団と認定された組織の人と付き合えないとなると、実質的に結社の自由そのものを否定したことになりはしないかと考えてしまいます。裏社会にいる人は普通の人との付き合いが許されないとしたら、彼らの人権はどうなるのでしょう。暴力団員に人権は要らないというのであれば、法の下の平等に反します。
 やくざと言っても、一概にすべて法律違反の悪業をしているわけではなく、現在は厳密に言えば、かなりの部分法律に触れるものは少ないのではないでしょうか。たとえば、地方のさまざまな祭り、イベントを盛り上げる出店、屋台は欠かせない存在でありましょうが、こうした業をするテキヤさんも一律に暴力団と認定されてしまうのでしょうか。
 罰刑法定主義ですから、明らかに罪を犯した者は厳に罰すればいいのです。山口組組長さんもこれには文句をつけていません。ただ、ある組織に属したからと言って、一律に悪人のレッテルを張り、取り締まりの対象にするのは、小生はちょっとやりすぎだと思います。結局、組織と人が地下に潜ることになり、悪業がより分かりにくくなり、一派庶民は見えない形で被害を被ることになるでしょう。
 下の写真は、黒竜江省ハルビン駅ホームにある伊藤博文侯暗殺の現場で、標識は、昨今多くなった韓国人旅行客の要望にこたえて、つくられたものと言われています。伊藤を狙撃した安重根は韓国では英雄ですから、韓国人がハルビン駅に来ると、「現場はどこだ」と知りたがるそうです。前の矢印のところに安がいて、向こうに人が立っているところに伊藤がいたそうです。かなりの至近距離で、拳銃でも十分狙えます。