つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

休眠口座の召し上げは当然だ

 近ごろ腹立たしいことと言えば、もう一つ。銀行口座などで長期に金の出入りがないいわゆる「休眠預金」について、政府が召し上げることを検討していると発言をした途端、銀行協会が反対し、また一部の預金者が慌てふためき、家中を探し回って古い預金通帳を見つけ、少額の預金を下ろしに行っていることです。小生は、少なくとも、20年以上金銭の出入りがない通帳は一律に廃棄処分とし、その全額を政府が取り上げられるよう法律化したらいいと思っています。
 テレビで見ていたら、年配者たちが「富士銀行」だとか「三和銀行」だとか「三井銀行」だとかの名が入った、長い間使っていない通帳をタンスの奥から引っ張り出し、一部の人は銀行に下ろしに行っている映像がありました。小生が推測するに、こうした長い間眠らせている口座は所詮1万円以下の少額でありましょう。そんな通帳を持って今さら下ろしに行くとしたら、それは「げにすさまじき」光景と言わざるをえません。
 休眠預金で比較的多めの額で残っている場合は、たぶんその預金者はもうこの世にいない人であり、遺族もその把握ができていない金、あるいはその存在を公にできない訳ありの金だと思います。昔は、架空名義の口座が可能でしたから、こういう口座の金がかなり各銀行には残っているはずです。一説には、800億円とも言われていますが、それを上回る額があるかも知れません。
 一般的に、20年もほっておく預金とは、預金者がその存在をほとんど忘れているか、少なくとも必要としない金だと判断されても仕方がないと思います。そうした金を召し上げるのは、それほど無茶なことでありましょうか。しかも、そうした金は他人に取られるのではなく、政府に召し上げられ、国家の金として有効に使われるわけです。(果たして有効に使われるかどうかは議論の余地はありますが、、)
 銀行協会の言うように、何年たっても他人の金であり、手を突っ込むなというのはそれなりの理屈です。ですが、そうした端数の金の存在を知っていながら、手をつけてこなかった銀行側の対応に暗い意図が感じられます。あるいは、いつかは自分のものにしてしまおうとの思いがあるのかも知れません。
 世の中、金銭の貸与には時効というものがあり、長期に請求がない場合、請求権を放棄したものとみなされます。長期の休眠預金もそういう判断がされてもいいのではありませんか。休眠口座の召し上げは、前のブログで触れた預金への課税よりよっぽど多くの人の支持が得られ、経済活性化には効果があることだと思います。
 実は、小生が記者として郵政省を担当していた時に、郵便貯金の休眠口座を召し上げるということがありました。これには、案外反対意見もなく、すんなり実行されたという記憶があります。復興資金がいくらでも必要な折、ぜひこうした”遊んでいる”金を有効に使って欲しいと思うのです。
 下の写真は、石巻市の港湾地区にあるガレキの山。12月の寒い時期に行っても相当臭いがしました。夏にはかなりの悪臭があったと思います。日本各地に分けて早く処分することが必要です。