つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

入れ墨市職員の処分は妥当か

 大阪市の橋下市長は、市職員の入れ墨調査を行い、彫り物をした市職員を処分することを決めました。これより先、児童福祉施設で、入れ墨した男性職員が子供たちに自慢したり、怖がらせたりしていたことが明らかになったことがきっかけだそうですが、それにしてもこの兄ちゃん、子供相手に刺青を見せるとは、何を考えているのか、おつむが子供のレベルの、随分おろかな行為としか思えません。
 小生も、子供のころ銭湯に行くと、明らかにやくざ屋さんでなく、大工とか左官屋さんとか漁師さんとか、そういう自営業的な職業の人で刺青を入れていたのを見たことがあります。別に不快感は催さなかったのですが、なんでこんなことをするのだろうと不思議に思った記憶があります。彫るのには随分痛いそうですし、また料金も半端でないと聞きます。基本的には一生消せないとなると、相当勇気のいることです。
 でも、最近、若者たちは結構イージーに彫り物をしているようですね。あの覚せい剤で捕まった酒井法子も足のくるぶしのところに何か蝶のような入れ墨をしていたのは驚きました。それまでの酒井嬢は、お嬢様風を装っていたので、入れ墨とは無縁な感じを持っていたのですが、でも彼女の父親はやくざ屋さんということを後で聞き、それならかくもありなんと思いました。
 市職員が入れ墨で処分されることが妥当かどうかですが、その前に入れ墨とはどういうものかということを考えなくてはなりません。入れ墨と女性の厚化粧とどこが違うのか、入れ墨とガングロとどこが違うのか、入れ墨と鼻ピアス、口ピアスとどこが違うのか。なかなか判別できにくいのではないですか。入れ墨が駄目なら、ピアスも駄目ということになりませんか。小生は今、市職員が入れ墨とは、感覚的に不快感を催しますが、では処分するまでの必要があるのかと考えたとき、首を傾げざるを得ません。
 少なくとも、他人に不快感を与えない、服を着ると見えない場所にちょこっと入れ墨がある程度なら、目くじら立てることもないのではないかと思います。少なくとも、やくざ屋さんみたいに、倶利伽羅もんもんの刺青を見せることで相手を威圧するわけではないのでしょうから。ファッションの類いで済ますことはできないものでしょうか。
 下の写真は、上海市延安西路から武夷路に入ったお店の壁にあるレリーフ。小生の上海の定宿から近い距離で、朝の散歩の途中で写しました。