つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

体罰教師の懲戒解雇は異常では

 旧聞ですが、橋下徹大阪市長は、市立桜宮高校体育科の入試を中止してしまいました。このドラスチックな措置には、賛否両論があり、結構支持している人がいるのにはびっくりしました。でも、小生はいかがなものかと思います。物事には一定の予定というものがあり、急激な変化はだれも歓迎しません。特に、学校選びというのはある人の一生を左右してしまうほどのことですから、急激な変化は避けた方がいいと思います。この件については、すでに書いているのでこれ以上触れません。
 続報では、桜宮高校で体罰をしていたバスケット部顧問の教師が懲戒免職になったとか。これもおかしな話ですね。仮定の話で恐縮ですが、もしバスケット部のキャップテンが自殺などせず、逆に腹を立てて顧問を殴り返して部を辞めるとか、別の理由をつけて退部しただけでしたら、大きな問題にはならなかったでしょう。つまり、残酷な言い方をすれば、自殺という形がこの問題を大きくしたのであって、これはキャップテン個人の問題です。
 もちろん、顧問の教師が殴りつけてけがをさせるとか、選手に重症を負わせて試合に出られなくさせてしまったら、これは大ごとで、即懲戒免職に値しましょう。しかし、たまたま自殺という形になってしまったのに、その責任を当該教師に負わせるというのは、ちょっと理解できません。
 こういう懲戒解雇処分がありうるなら、いじめに遭った子供が自殺した場合、教室でそのいじめを目撃しながら黙認していた担任の先生も、懲戒解雇に相当することになるでしょう。つまり、小生が強調したいのは、過失の場合は、相手の意思に基づく行動の結果によって恣意的に処分を決めるべきでないということです。
 確かに、このバスケット部の顧問は、必要以上に体罰を加え、ちょっと異常、サディスチックな印象すら与えます。ですから、処分は仕方のないことでしょう。だからと言って、相手の結果によって処分を決めるのは妥当ではありません。結果として自殺とはならなかったけど、体罰を受けて悩んでいたり、恨みに思っていたりする生徒は全国に多くいることでしょう。では、同じように体罰をしていた、こうした全国に五万といる体育クラブ顧問の教師たちも同じく懲戒解雇ですか。桜宮高校の顧問とどこに違いがあるのでしょうか、その差はどこに付けるのですか、小生は理解に苦しみます。 
 下の写真は、東京・赤坂の外れにある乃木神社境内の白梅。