つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

DNA鑑定は”凶器”にもなりうる

 元光GENJIで俳優の大沢樹生氏が16年育てていた子息がDNA鑑定の結果、実は自分の子供ではなかったというニュースがきょうのワイドショーで大きく取り上げられていました。小生はこのニュースを聞いて素直な印象は、文明の進歩って残酷だな、DNA鑑定なるものがなかったころはこんな悲劇は起きなかった、取り違えられていたとしても、認識されることはなかっただろうにとのこと。このちょっと前にも、都内に住む60歳の男性が、「DNA検査の結果、産院で取り違えられたことが分かった」として産院を訴えるニュースもありましたが、いやー実に悲惨な現実です。
 60歳男性の産院での取り違えは完全に産院側のミス。双方の両親はそれぞれ自分の子供だと信じ、育てたわけです。ただ、問題だったのは双方の家庭環境が極端に違っていたという点。産院に対し損害賠償裁判を起こした原告の男性は、本来なら裕福な家で大学まで通え、その結果、それなりのいい社会人生活のスタートが切れたわけですが、間違えられた先はやがて母子家庭となったため、中卒で働かざるを得なくなるなど厳しい生活条件下に置かれました。本人は記者会見で、「親から注がれた愛情は十分であった」と話していましたが、経済的な差異により60年以上にわたり辛酸をなめる人生になったことには、実に割り切れない思いがあったでしょう。
 産院の看護婦か助産師かは知りませんが、彼女らのほんの一瞬の間違いで、2人の運命は別のものになってしまったのです。残酷です。1950年代には、子供は家で産婆さんの手で生まれるケースから、徐々に産院で生まれるケースに移っていったとのこと。大病院などでは大勢が出産し、一緒にお風呂に入ることなどから、多分、この種の取り違えは数件では収まらないと思います。
 都内男性のケースは、原告本来の兄弟たちが間違って来た「兄」との性格、体格上の違和感に気づき、調査を開始、該当した原告に対し積極的にDNA鑑定を求め、発覚しました。つまり、本人ではなく、実の兄弟たちが確認に積極的だったわけですが、通常、自分の親子、兄弟関係を疑うことにそれほど積極的な人はいないわけですから、この種の発覚が相次ぐこともないでしょう。ただ、世の中、実は血縁関係がないのに肉親だと信じている人、立派に家族として生活している人がそれなりにいることは否定できないでしょう。
 ところで、大沢樹生氏のケースは取り違えなどという単なるミスによるものではありません。16歳の息子の母親であり、今は大沢氏と離婚している喜多嶋舞なる女性は当然、生理的に出産嬰児の本当の父親を知っていることと思います。だが、この辺の事情を説明せず、大沢氏と結婚し(ワイドショーによれば、できちゃった婚とのこと)、出生児を実子と思わせたのです。ですから、結婚時の告知義務違反であり、ある種の確信犯です。
 一般的に、他の男性の子を宿しながら、ある男性と結婚するケースはないわけでないでしょう。法律的には、女性の再婚には一定の猶予期間が設けられ、この種の間違いを防ぐ手だてが講じられています。ただ、世の中いろいろで、「わが子でなくてもいい、君と結婚できるなら」として妊娠している女性と同居し、出産嬰児を認知する父親もいるらしいのです。いずれにしても、女性はあらかじめその辺の事情を結婚相手に説明しておくことが必要でしょう。
 今回のケースで、もし大沢氏が喜多嶋舞さんと今でも結婚生活を送っていたとしたら、見た目、優しそうな大沢氏のことですから、多分、父親が自分でないにしても不問に付し、そのまま親子関係を続けていたのではないかと思います。しかし、2人はとうの昔に離婚し、それぞれ再婚しているという現実があり、そうなれば、大沢氏も血縁関係のない父子関係を続けるわけにはいかないでしょう。これも悲しい現実ですね。DNAは犯罪捜査には大いに役立ちますが、その分、人間関係をぶち壊す、悲しい現実を突きつける”凶器”にもなるということでしょうか。
 下の写真は、深圳の繁華街・老街で見かけたバットマン