つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

性同一性障害で男女トイレの壁破っていいのか

 昨日、経済産業省の職員である性同一性障害の男性に関して、最高裁の小法廷は「女性用トイレの使用制限はおかしい。省(国)の対応は違法である」という”画期的な”判断を示しました。LGBTの方々には、これは朗報なのかも知れません。ただ、われわれ、性同一性障害のない人間、いや一般的な人の感覚からしても、「ちょっと持てよ。これっていろいろな問題点をもたらしてしまうのではないか。却って性同一性障害の方に迷惑がかかるのではないか」と心配してしまいます。

 今回裁判の原告であるこの性同一性障害の男性は、経産省の中でそういう人間であると広く知られているようです。ですから、この人に限れば、少なくとも省内では無言のコンセンサスがすでにできているようですから、この男性が女性用に入ってきても、多くは「ああ、あの人ね」と了解されます。現にこれまで、省内では明確に不快感を持ったり、異議を唱えたりする人はいなかったと聞きます。ですから、今回の最高裁判断は”現状追認”という意味で、それはそれでいいんでしょう。

 でも、この男性が経産省以外の女性用トイレに入ったら、どうでしょうか。こう言っては何ですが、いくら女装していても本当の性は分かるものです。恐らく、居合わせた何人かの女性は「不審者がいる」と警備当局に訴えるかも知れません。という意味で、最高裁の判断が「この男性に限って、経産省内のトイレで」という限定であっても、多くはそうは思わない。最高裁判断は「判例」として普遍性を持つため、曲解されて他に与える影響は少なくないと思います。

 これまでも、性同一性障害など関係なく、男性が女装して女性用トイレに入り込み、盗写カメラを仕掛けたりの犯罪に絡むケースがありました。ですから、女装をしていることがむしろ犯罪の”道具”となっていました。つまり、女装が性同一性障害者かどうかを判断する基準にはならないし、免罪符にもなりません。今回の最高裁判断が人口に膾炙すれば、悪意を持った男性が「これ幸い」とばかり女装して女性用トイレに入り込む恐れもありましょう。

 そして、居合わせた女性に咎められたら、女装男性は「私は性同一性障害者です。最高裁でも女性用に入ることが認められました」などと抗弁することもあり得ましょう。咎めた女性が世事に疎い人であれば、「確かにそんなニュースがあったような」と思い出し、許してしまうことになりかねません。つまり、今回の最高裁判断は、男性が堂々と女性用トイレに入り込み、犯罪行為をする素地を作っているような、そういう危険性を孕んでいるように思えてなりません。

 何のためにトイレが男女別々に存在するかをもう一度考えるべきです。性同一障害を理由にした”例外規定”はやはり問題ではないでしょうか。今、気の利いた施設ではいわゆる身体障害者用の広いスペースのトイレが設置されています。ここなら完全個室なのでだれでも利用できる。性別は問われない。今後はむしろそういうスペースを増やすべきでしょうね。

 上の写真は、伊勢佐木町モール付近で見かけたアガパンサス。下の方は野毛山公園オオキンケイギク