つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

大河ドラマの時になぜ城の修復?

 今週、中国企業コンサルタントの仕事で兵庫県の西端、姫路市を訪問しました。相手側企業とのミーティングのあと中国企業の人は当日の新幹線で、東京に帰りましたが、小生は姫路に一泊して翌日、京都に寄り、久しぶりに友人と旧交を温めました。これまで訪れたことがなかった伏見稲荷を参拝。さらには翌日、桂川渡月橋の嵐山、嵯峨野方面をぶらつき、午後は銀閣寺を眺め、哲学の道を散策してきました。仕事と遊びを兼ねた有効な旅程でした。
 ところで、姫路での一日目、ミーティングが早く終わったので、姫路城を訪ねました。日本一美しい城であり、最大級の世界文化遺産。小生、恥ずかしながらこれまで見たことがなかったので楽しみにしていましたが、訪問してみてびっくり。天守閣が改修工事のため、建築用のネットで覆われていて、見ることができなかったのです。そのせいか、姫路城付近の駐車場も観光バスが見当たりませんでした。
 今、NHKの大河ドラマでは「軍師 官兵衛」をやっており、今、姫路としても一番、観光客を引き付けたい時期でしょう。小生が泊まった姫路のホテルなどでにも大河ドラマの宣伝ポスターが張ってありました。このブログでも書きましたが、昨年の「八重の桜」の放映の時には、会津の人たちは前の年からすごく期待している様子がありありと認識できました。本来、地元の観光関係者にとって、大河ドラマというのは画期的なチャンスのはずです。
 そんな絶好の機会なのに、観光の目玉、白鷺城がなんで修復工事なの、なんでネットに覆われるの−という素直なショックを受けました。どういう工事か知りませんが、大河ドラマを放映する時に城の工事はないでしょう。時期をずらすことはできなかったのでしょうか。だれもそんなこと気にもかけなかったのでしょうか。姫路市観光協会のセンスを疑います。
 まあ、確かに今の姫路城は江戸時代の建造で、黒田官兵衛の時代になかったものです。大河ドラマのストーリーとは直接関係ない建物ですが、姫路は、御着の小寺家の出城として家老格の黒田家が支配していたわけで、その意味では旧城主ということになります。城内の展示物でも最初の城主は黒田(小寺)と記されていました。
 姫路市内には、城のほか、特に参観できるような黒田官兵衛につながる建物、遺構がないだけに、最大の観光名所が画竜点睛を欠いていたのは返すがえすも残念でした。
 下の写真は、天守閣がネットで覆われた姫路城をバックにした一枚。