つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

集団的自衛権で地球の裏側まで行くのか

 部分的に集団的自衛権を認めることが閣議決定されました。本来は、憲法改正で行うのがスジなのでしょうが、今の憲法はたいへん変えにくいということを考えれば、解釈改憲でもしょうがないのかなという感じを小生は持っています。尖閣諸島に見られるように脅威が現実に迫っているときに、手続き論を議論している場合ではないのです。多くの国民はそれを理解していると思います。
 あるテレビのワイドショーを見ていたら、元新聞記者であるコメンテーターが「集団的自衛権と集団安全保障は違う」とのたまわっていました。恐らく解釈拡大の許容性を強調しようとするあまり、自民党辺りから出た詭弁、その場を取り繕うとするための論理展開で、コメンテーターはそれを代弁したものだと思います。小生は集団的自衛権と集団安全保障はほぼ同じだと理解しています。
 要は、自分に直接危害が加えられなくとも、友人、同盟国に危害が及んだら、その危害に対し、友人、同盟国のために敢然と対処できるかということです。人間社会では、当然ありうることで、韓国のセウォル号海難事故での船長のように、もし乗客を助けなかったら、激しい非難の対象となるでしょう。船長にはあのA新聞ですら激しい批判の記事を書いていました。それなのに、どうして国際社会で国家同士、相互扶助をすることが許されないのでしょうか。
 どこかの政党やメディアが言っているように、地球の裏側まで軍隊を送るようになるというのも無茶な論法です。2001年の9・11で米国はテロ攻撃に遭い、多くの犠牲者を出したため、時のブッシュ大統領タリバンを国内に保護していたアフガニスタンテロ支援国家だとして、NATOの同盟国とともに戦いを仕掛けました。これに対し、NATO加盟国のうち何か国かは参加したものの、米国の誘いに乗らないところもあったのです。
 主権国が自国の軍隊を出すかどうかはその国の自由裁量であって、米国の強制力などありません。それを日本が米国の言うことを何でも聞く奴隷国、属国のごとくに言うのは、主権者たる日本国民を馬鹿にしていることにほかなりません。日本の自衛隊は、天皇統帥権を持っていた戦前の軍隊と違って、国民の代表たる首相が最高指導者です。ですから、首相の自衛隊に対する扱いに異議を唱えるなら、政権交代させればいいのです。
 最後に、これは今回の部分的集団的自衛権の話とはかけ離れますが、「地球の裏側」論にちょっと触れておきます。地球の裏側まで自衛隊を出すことをものすごく罪悪のように言う人が多いのですが、PKO(平和維持活動)ではすでにカリブ海のハイチに自衛隊が派遣されていますよ。ハイチもほぼ地球の裏側です。
 PKOでなく、万万が一、地球の裏側に日本にとっての脅威が存在するなら、日本は敢然と自衛隊を地球の裏側まで派遣してもいいと思います。要は、距離の問題でなく、脅威の認識の問題です。自国の安全をどう図るかという問題なのです。

 上の写真は、6月29日、伊勢佐木町モールで行われた神輿祭りの一風景。横浜やその周辺の町から多くの神輿や担ぎ手が集まり、夏の一日、盛り上がっていました。神輿は小生も好きです。