つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

習近平は周永康らのクーデター計画に怒った

 中国の周永康元政治局常務委員の「規律違反」問題がようやく国内で公表されました。中国専門家の間では2年前から当たり前のように噂されてきたことであり、実際、昨年12月にはかなり確度の高い情報として身柄拘束されたという話も伝わっていたので、周の立件は既定事実となっていました。小生も周永康問題をいろいろなメディアで書いてきているので、今ごろになってやっと公表されたことに、「遅きに失した」の思いもしてしまいます。
 ▽小生が書いた文章としてhttp://www.kazankai.org/china_scramble_list.php 
 テレビのワイドショーでは報じられていないのですが、周永康薄熙来重慶市書記、徐才厚元軍事委員会副主席、令計画元党中央弁公庁主任らとともに、習近平政権打倒の軍事クーデターを仕掛けたとされています。この計画は、不幸にも薄を裏切った元重慶市副市長の王立軍が成都の米領事館に逃げ込んだときに証拠の録音内容を一緒に持ち込み、明るみに出てしまいました。
 周永康らの4人組がこの相談をしたのは、2011年から12年にかけてだ。周も習も父親が元副首相という太子党(高級幹部の子女)。薄は太子党の中では能力的にナンバーワンだと思っていたため、習近平が次期総書記に内定したことに不満を持ち、習が総書記になってから権力を奪おうという計画を周永康に持ちかけたのです。
 そのシナリオとは、薄と周は親分筋である江沢民国家主席の力を借りて、まず薄を12回党大会(12年秋開催)で政治局常務委員会に送り込む。そのあと、時期を見て、薄が江沢民派の常務委員の支持を取り付けて習近平の”腐敗”を追及、多数派工作を図って拡大政治局会議などで習の総書記解任を図り、代わりに薄がそのポストを襲うというものです。
 このクーデターを発動する時には、政法委員会書記だった周永康が警察、武警、司法関係を動かして反対派の動きを封じ、それを徐才厚が軍側でバックアップ(軍が権力闘争に介入しないようけん制)、令計画が党中央内を抑える役目を担っていたようです。すでに、クーデターが成功した場合の”組閣リスト”まで用意されていたといいます。
 周は12回党大会で常務委員からの退任が決まっていたのですが、もし薄が総書記になれば、キングメーカーとしての立場を確保し、引退後も隠然たる力を発揮することができます。ですから、金と色だけでなく、江沢民氏同様”終身権力欲”にも取りつかれてしまったのでしょう。
 だが、薄の部下の王立軍が“保険”のために上司の盗聴もしていて、こうした悪巧みが録音されてしまったのです。後刻、薄熙来の妻の殺人事件などをめぐり実際に薄との仲が険悪になってしまい殺されそうになったので、王はその証拠の録音を持って米領事館に逃げ込みました。米国はご丁寧にも、その証拠品を習近平指導部に手渡してしまったのです。
 習近平氏はクーデター計画を知って怒ったのは当然で、「4人組許すまじ」という心境になったのでしょう。その結果、昨年、薄を刑事処分にして無期懲役を宣告。さらに徐才厚を今年6月末、刑事訴追し、軍事裁判に付す手続きを取ることを発表、続けて今回、周永康を立件したわけです。
 ただ、現時点で発表された調査対象内容はいずれも、汚職、職権乱用の罪ばかり。中国専門家の今後の注目点は、徐才厚の軍事裁判や周永康立件による刑事裁判で、クーデター計画が明るみに出るかどうかです。もし、党内クーデターという話が公表されたら、共産党一党独裁体制には計り知れないインパクトを与えることになるでしょう。
 習近平氏の前の胡錦濤政権時代は、江沢民氏が隠然たる力を保持していたので、明確に胡路線というものを打ち出せなかったのですが、党中央のトップナインにいた習氏はそういう状況をよく見ていました。江氏には自分を引き上げてくれた恩を感じているものの、自らの政権時代は江派の影響力を排除したい、自らの権力を強固にしたいとの思いがあるようで、江の権力に対し必死の戦いを挑んでいるのです。この習近平江沢民の抗争がどう決着するかというのが見物です。

 上の写真は、6月4日夜、天安門事件25周年を記念し、東京で開催されたイベント。弾圧されているウイグルチベット、モンゴルの少数民族代表の話が印象的でした。