つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

ハローウィンの仮装で電車に乗るのは

 今週木曜日の夜、米国から来た客人の歓迎宴会に出るため、渋谷・恋文横丁の台湾料理屋に出かけました。お開きの時間はだいたい9時ごろでしたが、道玄坂に出ると、顔に血を流したような色を付けている女性1人を見かけました。ぎょっとして「なんだこれ」と思いましたが、このあと渋谷駅前のスクランブル交差点にかけて、奇妙な衣装を着け、顔にメーキャップした若い女性が大勢いたので、「ははーん、ハローウィンだからか」と納得しました。
 彼らはこんな衣装でいったいどこへ行くのでしょうか。センター街辺りに集結、仮装した仲間同士のパーティーで騒いだりしたのでしょうか。あるいは仮装の奇抜さを競うコンテストでもあったのでしょうか。小生の家の近くの桜木町駅横浜駅でも仮装者を見かけたことから推測して、恐らく彼らは自宅からこんな奇抜な恰好で電車に乗ってきたのでしょう。恥ずかしくないのかなと老婆心(?)ながら心配してしまいます。
 年々ハローウィンのイベントは大きくなっている感じです。小生が若者だったころには、ハローウィンを楽しむ風習などありませんでした。それが特にここ数年、仮装を楽しむ人たちが多くなっています。川崎では先週日曜日、ハローウィン仮装のパレードもあったそうな。目立ちたいという自己顕示欲と変身願望をちょっぴり満足させるイベントだけに、今の若者には受けるのかも知れません。
 ハローウィンのイベントと言えば、昔、記者時代、米国で起きた事件を思い出します。仮装した日本人留学生が他人の家にプレゼントをもらいに行こうとして、家人から「FREEZE(止まれ)」と言われ、それを「PLEASE(どうぞ)」と聞き違えて家に近づいたら、銃で撃たれ、死んでしまった事件です。米国ではハローウィン時期、仮装して家に入り、強盗に変身するケースもあったものですから、この銃を撃った人は正当防衛と認められ、無罪となりました。
 仮装というのは、恥ずかしいかどうか、危険性を孕むという視点ばかりでなく、公共とプライベート空間の混同という問題もあります。特定の限られたスペースの中で、仮装してじゃれ合うのは勝手でしょうが、自宅から街中、電車内と奇抜な仮装のままで通してしまうのはいかがなものでしょうか。公共とプライベートの混同という点では、なんだか電車内で化粧したり、食事したりすることと同じような感じがしてなりません。

 上の写真は、京急線弘明寺駅近くにあるスーパー銭湯「みうら湯」。入浴料金850円で、結構楽しませてくれます。