つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

教師に銃を持たせるというのは無茶だ

 米国各地の大学、高校の教育現場で、再三銃の乱射事件が起こっているので、学生たちが立ち上がり、銃規制に向けて本格的に反対行動に出ています。ヤーさん以外銃所持など無縁の日本では考えられないことですが、米国では特にここ1、2年、銃乱射事件が頻発しています。さすがに学生たちもおちおち学園で勉強などしていられないと感じたのか、銃廃絶に本気になったようです。
 学園で銃乱射がなぜ多いのか。一つには、コンピューターゲームの影響があると思います。小生はPC、スマホのゲームなど何の関心もありませんが、子供たちばかりかいい大人も好きなようで、ゲームを結構熱心にやっている様子が電車内でも散見されます。ゲームの中身はだいたい暴力的で、殺傷武器を使って人を殺すものも多いようです。こんなことを小さいころからやっていれば、日常生活とゲームとの違いが分からなくなってしまいます。
 もう一つの原因は学生たちにフラストレーションがたまっているのでしょう。特に米国は他民族国家であり、さまざまな人種、民族が同一学園に集まっています。民族間の齟齬、軋轢、対立が知らず知らずのうちに学園内に蔓延し、ある日突然フラストレーションを爆発させてしまうことがあるようです。銃乱射の犯人の中には留学生、親が海外から移民したという者が結構います。
 もちろん、銃乱射の最大の原因は、米国内で銃器の購入が法的に許され、しかもイージーに入手できるという点です。この背景には自分の安全は自分で守るという18世紀以来の米国の思想があり、今でもその思想によって銃を所持することが当たり前になっているのです。全米ライフル協会などという団体が有力な政治的圧力団体となっていることを見ても、銃規制がそんな簡単でないことが分かります。
 学園の銃乱射の続発を受けて、トランプ大統領は「銃には銃で対抗」とばかり、「教師などの学校関係者にも銃を配備し、防御したらどうか」と提唱し、唐突な意見にいささか驚かされました。ただ、彼の考え方はいわゆるトラディショナルナルな米思想に基づくもので、一概に国内で無茶な意見とも見られず、実際に賛否両論が出ていました。
 では、このトランプ提案に、小生はどう考えるかと言えばはやはり過激ではないかと思います。所詮力がものを言い、アナーキー(無秩序)で暴力を取り締まるべき機関がない国際社会においては、武力には武力で対抗、抑止力を持つという論理は正当ですが、警察権力が行き渡っている、つまり秩序維持能力がある国内でそこまでやる必要があるのかと思います。
 しかも、学生がひそかに銃を持ち込み、いきなり乱射したら、いくら教師が銃を持っていたとしても事件を防止することはできません。できるのはせいぜい事件を起こした学生を事後に撃ち殺す程度のことでしょう。でも、学校関係者が「目には目を」とばかり報復行動に出、教育現場で銃撃戦を展開したりすることが果たして望ましいことなのか、疑問に思います。
 学生たちが要求するように、米国も徐々に銃規制が必要なのではないかと小生は思います。100%規制できなくても、無条件に売らないとか、登録制にするとか、厳重管理を求めるとかいろいろな制約を設けて、いずれなくしていく方向に持っていくべきだと思います。トランプ大統領はライフル協会の献金の方が魅力的であると思っているのでしょうが、真剣になった若者の声をもっと聴くべきでしょう。

 上の写真は、岐阜県白川郷にあった残雪の山。東南アジアからの観光客がこの上に登ってはしゃいでいました。