つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

移民国家の米国で「もとの国に帰れ」とは何事だ

 トランプ米大統領が自らに批判的な非白人系の女性民主党議員に対し、「嫌なら、もといた国に帰ったらどうか」とツイートして、物議を醸しました。米国は移民で成り立っている国。もともと北米大陸にいたのはいわゆる”インディアン”という原住民だけで、白人だって欧州大陸から来た移民ではないか。それなのに、トランプがこういう言い方をするのは差別意識が根底にあるからです。白人ならいいがカラードは駄目という、白人優越意識に根差していると思えてなりません。

 批判された4人の女性議員は、親がプエルトリコ人、パレスチナ人、さらにアフリカ系2人で、このうち3人は米国生まれで米国育ちだとのことです。であれば、肌の色は違えども完全なネーティブアメリカンであり、米国は祖国です。プエルトリコはそもそも米国の保護領、属領であって「国」と言えば米国を指す。パレスチナ人は今でも国家を持てない人たちであり、帰るところはない。黒人は19世紀、アフリカに国家などない時代に無理やり労働力として強制連行されてきた人たちであって、帰るべき祖国がどこか明確でない。それなのに「国に帰れ」と言われて、驚いたのではないか。

 小生は昔、チェコの作曲家ドヴォルザークの有名な交響曲「新世界」について、米国に渡った欧州移民たちが新しい大地に対する感動と期待を表したものだと聞いた記憶があります。という曲想の背景を知ると、新大陸への驚きと感動、そして期待感が伝わってくる第一楽章、新大陸で安寧を得たと感じさせる第ニ楽章と、曲全体に本当に感動するし、同時に米国のふところの深さ、すばらしさを感じました。

 英国で迫害を受けて米国に渡ったピューリタン清教徒)が有名ですが、米国とはもともと世界各地で暮らしにくかったそういう人たちを受け入れて、多民族の 競争の中、活力を生み出し、偉大な国家を創り上げていったのではなかったのか。そういう歴史を少しでも知っている人であれば、今度のトランプ発言はとても悲しい。実にこの人何言っているのだろう、米国の歴史を学んだのかと問いたくなります。

 そもそもトランプ自身、父親の代にドイツから渡ってきた移民だというし、メラニア夫人に至っては旧ユーゴスラビア生まれで、祖国は現在のスロベニアです。生い立ちで言えば、トランプが批判した女性議員”以下”の米国民です。現に、トランプ発言のあと、ネットでは「メラニアはもとの国に帰らなくていいのか」とか「移民であるメラニアも米国の国政を批判する権利はないのか」という皮肉っぽいツイートも出ているそうな。「もともとの国」などと言うと、トランプにとって天に唾する発言になってしまうのです。

 それともトランプは、白人の移民がいいが、カラードに限って駄目だと言っているのでしょうか。確かに批判した4人の女性議員はいずれもラテン、中東、アフリカ系とカラードの人たちです。でも、これもおかしい。明らかな人種差別です。世界で今、自国で暮らしにくい思いをしているのは圧倒的にカラードの国が多い。彼らがかつての清教徒のように、迫害を逃れ、希望を求めて米国に渡って来るのは自然な現象で、合法的であれば、何人と言えどもそれを否定したり、非難したりすることはできないと思います。

 だれでも温かく迎えてあげるのが米国の伝統であり、いったん米国に住んだ以上、肌の色にかかわらず、皆一緒だというのが米国の共通認識です。今回のトランプ発言はそういう共通認識を無視しており、優しさが全然感じられない。実に悲しむべき大統領です。

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 上の写真は、先日、軽井沢駅で購入した「横川の峠の釜めし」。いつ食べても具材が同じで、しかもボリューム満点。すばらしい駅弁だと思います。