つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

不満、怒りで暴力行動に出る限界点って何?

 最近、テレビのニュースを見ていると、列車、自動車、商店で刃物を持って暴れたり、ガソリン、石油などを撒いて火をつけたり、こん棒で商店のガラス窓や陳列ケースを叩き壊したりする事件が多発しているように見受けられます。よくよく考えると、新型コロナウイルスで外出規制がかかり、世間の動きが止まっていた期間、昨年の春から夏にかけてはそんな事件はなかったように記憶します。本来は、外出禁止で抑圧状態になったときほどフラストレーションがたまり、起こり得る事件ではと想像するのですが、今秋から初冬にかけコロナが鎮まり、人々が大勢外に出始めるとそんな事件が続出するとはいったいどうして。

 でも、世間が沈静化している時に、街に出て暴れることがないのは何となく分かるような気がします。秋葉原でトラックを暴走させたのも休日で人出の多い時ですし、京王線で火を放ち、刃物で暴れた若者も10月末のハロウィンの夜でした。自殺者が列車に飛び込むのも月曜日の朝、ラッシュ時が多いというのは昔から言われていることです。人間、どこかに自己顕示欲があるせいか、罪を犯す時でも、死ぬときでも、存在感を示したい、誰かに見守られたいという意識があるんでしょうね。

 それに世間が沈静化している時に、人間は概して気分が高揚せず、何か新しいことをしたり、創造的なことをしようとしたりする気力が湧いてきません。犯罪者、自殺者も同じ心理状態で、犯罪、自殺に至る衝動にもそれなりの高揚感、エネルギーが要るのでしょうか。闇夜に鉄砲をぶっ放すより群衆に向かって発砲するというケースが圧倒的に多いことは米国の銃乱射事件でも証明済みです。

 でも、巻き添えを食う方はいい迷惑です。日本は米国のように銃の所持に制限があるので、それだけでも救われます。ナイフ、こん棒だけなら大規模な死傷者が出ることはないですからね。ただ、迷惑と言えば、特に通勤時間帯での電車への飛び込みは最悪。小生、今は一定の場所に通う仕事をしていないので関係ないのですが、サラリーマン時代にこんな目に遭った時には、思わず「死にたいなら一人勝手に死ね」「富士山麓青木ヶ原で首でも吊って」との罵声でも掛けたくなりました。

 それはともかく、人間は普通、自らに何か不都合があってもじっと我慢するものです。不満や怒りを暴力で発散したり、死を選んでしまったら、体や命がいつくあっても足りません。憂さ晴らしは人によってまちまちでしょうが、自分なりの”健全な”方法を見つけて実践された方がいいように思います。小生の憂さ晴らしは酒かな。あるいは散歩、ハイキング。普通、男は飲む、打つ、買うという晴らし方があると言われていますが、小生は怒りや不満の時に打つ、買うという衝動は起きなかったですね。

 怒りや不満で自暴自棄になって命を縮めたり、刑務所に入ってしまうような行動を起こす境目、限界点って何だろうといつも小生は思います。暴発する人は、その結果などは考えないんでしょうか。もっとも考えられる人だったら、恐らく限界点を超えることはないでしょうから。生きてたら楽しいことはいっぱいあるし、旨いものも食える。死んだらおしまいだし、犯罪で刑務所に入るのも御免被りたい。小生は希代の寒がりなので、暖房が十分でないところで過ごすなど想像しただけでも嫌だ。というわけで、小生は衝動的行動に縁がありません。

 上の写真は、浅草・駒形にあるフレンチレストラン「ナベノイズム」の入り口とそのベランダから見た墨田川の景色。