つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

一方的政府批判はいかがなものか

 元通産官僚の古賀芳明氏が報道ステーションの最後の放送で、「自分は官邸の圧力によって降板させらた」と発言し、圧力に屈したテレビ朝日や司会者古館氏のプロダクションを批判したことが巷の話題になっています。小生はこの番組をライブで見ておらず、翌日友人からの話や新聞報道で知ったのですが、第一印象は、生放送で、自分の意に沿わない事態を受け入れられず、感情の赴くままに怒りを表すのはいかがなものか。60歳近い男にしてはちょっと大人げない、めめしい行いかなと思いました。
 彼の発言はこれまでずっと安倍政権に批判的であったので、それによって政府筋がいささかの”圧力”(注意でもいいかも)をかけたというのは恐らく本当のことだと思います。テレビ局側も放送事業免許を司どる政府との調和を考えたり、また、企業広告を受け入れなければならない一民間企業の立場に配慮するならば、政府筋から一言言われれば、120%で反応することにもなりましょう。
 華人社会のメディア研究をしている友人が最近香港に行き、同地のメディア事情について取材した結果をきのう小生に話してくれました。香港では雨傘運動に見られるように民主化運動が盛んになっているため、北京当局による香港マスメディアへの圧力は一層強まっているそうです。
 それも、北京は露骨に民主化を支持するメディアは許さないとばかりにさまざまな強硬手段を出してきます。たとえば、反北京の立場を貫く新聞「蘋果日報(りんご日報)」に対しては、ヤクザを使ってその経営者の家を放火したり、警察に本人を逮捕させたり。また、他の新聞も含めて、社説で極端な反北京の立場を取る場合は企業に圧力をかけて広告を出させないような手段を取っています。それに比べたら、日本政府の注意などはかわいいものでしょう。
 これまで古賀氏の国際情勢などに対するコメントはそれにしてもちょっと異常でした。ユーチューブで調べたところ、彼は、イスラム国(過激集団)について、「彼らの主張していることも理解できる」などと言っています。何か事件が起きると、その分析でいつも「社会が悪い、こちらも悪い」などと言って、訳知り顔で犯罪者側に理解を示し、結局、無内容の理想論に終始するだけのコメンテーターがいますが、彼はその類です。
 彼の本を読みましたが、もともとこんな人がなぜ現実主義に立脚しなくてはならない国家の行政官たる官僚になったのか。報ステはなぜこんな人を有難がって出演させていたのか理解に苦しみます。まあ、この番組は朝日新聞記者のコメンテーターを出し、政府批判のコメントばかりさせていたのですから、同じトーンの人と認識し、最初は喜んで出演させたのでしょう。そんな”飼い犬”に手をかまれたのですから、古館プロダクションも、テレビ朝日も自業自得です。
 中国でもあるまいし、言論が保障されている自由社会の日本で一般的に政府の圧力などあってはなりません。ですが、「I am not Abe 」などと書かれたボードを画面上で出すなど、感情むきだしの一方的反対論ではちょっと過激すぎます。テレビ局も、官邸もその過激さに黙っていられなくなったのでしょう。マスコミは政府の持ち上げばかりではいけませんが、極端な反対ばかりでもまたいけません。報道はあくまで中立であるべきなのですから。

 上の写真は、母親がいる千葉県船橋市の老人ホーム内に飾られていた雛人形