つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

菅総理とトランプ大統領の発言の差

 7日、首都圏に新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が出された際、菅首相が記者会見しました。政府が国民に対し重要なメッセージを発する時、総理自らが前面に出て呼びかける必要性は前にこのブログで強調しましたが、今回、まあまあそれが実践されたので小生は良かったと思っています。ただ、問題はやはり呼び掛け方。残念ながら、菅氏には国民を納得させようとする迫力がない。コメンテーターの誰かが言っていたように、下ばかり向いて原稿を見ているようでは、発言内容が国民の心底に届くことはありません。

 今回の会見で笑ってしまったのは、発言の締めのところ。「…今一度ご協力を賜りますことをお願いして私からのあいさつとさせていただきます」と言っていたこと。いくら何でも「あいさつ」はないだろう。これじゃ、だれかの議員支援パーティーか、どこかの選挙応援演説に行って話すときと同じじゃないですか。総理が国民に訴えかける時は説得、納得させる発言、メッセージなのであるから、少しばかり強い口調で良い。そうであれば、あいさつという言葉はふさわしくない。

 もともと東北・秋田の人が先進都市・横浜で地盤を作って市議となり、さらに国会議員と上がった。つまり、無から有を作った人、徒手空拳から実力を蓄えた方。そういう下積みから始まった議員生活の中で何万回も支援者へのお願いのしゃべりを経験し、それがパターン化されてしまったのか。しかも、もともと口下手な上、東北の国なまりが揶揄されないよう一語一語丁寧にじゃべっているうちに紋切り型の話し方になってしまったようです。

 しかし、総理、国のトップになった以上、そういうパターンから離れなければならない。発言方法を今一度考え直した方がいいように思います。優秀なスピーチライターはいないのか。振付師はいないのか。共同通信から首相補佐官に抜擢された優秀な元政治部記者はどうしたのか。存在感がない、全然役に立っていないんじゃ意味がないのでは。でも敢えて冗談を言わせていただけるのなら、今回、「私からのあいさつ」という言葉で良かった。慶事と間違えて思わず「私からの”祝辞”とさせていただきます」などと言ったら、本当に笑い話になってしまうところでした。

 菅氏に比べて、トランプ米大統領の煽情的な発言は強烈だった。国会議事堂で最終的な選挙人の確定演説があるときに、周辺に来た支持者に対し「国会向かって進め」と号令、議事堂内でのセレモニーをつぶそうとしたのですから。彼は、ヒットラーを彷彿とさせるアジテーターです。ヒットラーミュンヘンビヤホール一揆を起こそうと演説、実際にその後、労働者、支持者たちがヒットラーの言葉に乗って警官隊に向かって行進します。トランプ支持者も今回、彼の言葉によって議事堂に突入しました。これも正直、驚きでした。

 アジテーターは過激でなければなりません。しかも分かりやすい、できればワンワードの発言。日本で言えば、池田勇人の「所得倍増」、田中角栄の「列島改造」さらには小泉純一郎元首相の「自民党をぶっ壊す」などもワンワードで分かりやすかったけれど、トランプの「国会進撃」はあまりにもストレートですごい。国会を攻撃の標的にしたのは、議事堂を焼き討ちにしたヒットラー以来です。トランプは今恐らく、民主主義の米国でなく、独裁国家に生まれていれば良かった、もっと自分の才能が発揮できたはずだとしみじみ思っているに相違ありません。

 日本の総理が過激なアジテーターになる必要はありませんが、少なくとも国民を納得させるための話術は持つべきです。それには、原稿を読むのでなく、テレビの前の国民に向かって(会見の場にいる記者にではなく)直接語りかけること、さらに、これは自分の心底からの願いだと感じさせるために強い眼力を持ってほしいと思います。

 上の写真は、昨年どこかで撮影した花。時期、撮影地、さらには花の名前も分からず。