つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

ギリシャの国民投票が示したもの

 いやー、ギリシャ国民投票の結果は、正直驚きました。最後は常識バネが働いてEUの財政緊縮提言を受け入れると思っていましたが、意外や意外、逆に反対票が6割を超してしまいました。テレビ番組での知識人のコメントは、「ギリシャ人は無責任」というものばかりでしたが、小生はこの結果を見て別の感想を持ちました。ギリシャ国民はこれによってユーロシステムの本質的矛盾をクローズアップさせようとしたのではないか、ギリシャがEUの中で宿命的に置かれている状況まで世間の人に考えさせようとしたのではないかと。
 ギリシャは観光業や若干の農業以外に産業がなく、独自で財政規律を全うできる国でなく、もともとユーロ圏に入るのは無理なのです。それを「古代ギリシャが欧州の原点」などという思い、あるいは地中海の深奥部でイスラム圏との接点という地政学的な位置への配慮から、ぜひとも欧州の仲間にと独仏などの先進国が加盟を望んだのだと思います。
 EUは統一経済体制を敷いて単独国家のようになった以上、豊かな地域、貧しい地域が混在するのは仕方のないこと。日本だって、統一国家の中で、地方交付税をもらっていない地域もあれば、交付税を大量にもらっている県もあります。豊かなところと貧しいところが構造的に存在する以上、貧富の平準化を図り、支援システムがあるのは当然のことなのです。
 また、EU内は人的流動が自由ですから、ギリシャで能力がある人は早々にドイツや他の豊かな地域に移住しています。こう言っては語弊がありますが、今ギリシャに残っている人は、個人能力の問題から公的なところにしか働き口を求められない人、年金生活者が多いと思います。となれば、もともとギリシャ一国の民に付け回しするのは無理な気もします。
 一国家単独で経済、金融システムが作用できるなら、ギリシャはとっくの昔に通貨の切り下げや、別の税制、あるいはデフォルトすらやっていたかも知れません。一国単独でそうした措置が打ち出せない以上、EUシステムの欠陥の責任をギリシャだけに押し付けるのはちょっと無理があるのではないでしょうか。
 「なぜ真面目に働かない」「もっと全体のことを考えろ」とギリシャ国民を叱咤するのは分かりやすく、世間受けするのですが、それだけでいいのかと考えてしまいます。前回、ギリシャはアリにたかるキリギリスだと言ってしまいましたが、こうした構造的な面も併せて考えるべきではないかといささか思うようになりました。ギリシャ国民の肩を持ちすぎでしょうか。

 上の写真は、薄暮の中にある横浜・みなとみらい地区の光景。