つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

坐骨神経痛の痛さは神の使いだったか

 4月から5月にかけて、医師から胃ガンを宣告、入院、手術日まで設定されて、鬱々とした日々を送っていた時、小生は併せて坐骨神経痛にも悩まされていました。実は、胃ガンは何の苦痛もなかったのですが、神経痛の方はもう大変。もっともひどい時は、10メートルほど歩くと痛くて、腰をかがめるか、そこにかがんで一時休まないと再び歩き出せない状態でした。
 ですから、実は、胃ガン宣告後の鬱々とした気持ちは、ある意味、この坐骨神経痛の痛さで紛らわされていました。この痛さがなかったら、もっと内臓の件で悩んでいたと思います。その意味では、坐骨神経痛は小生にとって精神上の苦痛、悩みを和らげるための神の使いであったのかも知れません。
 その坐骨神経痛は、なんと今はありません。手術で入院するまで腰から左足にかけて痛かったのですが、2週間入院しているうちに「あれ」という感じで痛みを感じなくなりました。その無痛を最初に気づいたのは、手術後、医師からなるべく歩くように言われ、点滴セットを持ちながら、病院内を歩きまわってきたとき。歩き始めに痛みを感じなかったので、入院まで坐骨神経痛に悩まされていたことなど思い出せないほどでした。
 退院後、長い距離を歩くと、さすがに左足に張りのような症状がありましたが、痛くて途中で休憩するといったことはなくなりました。そして今、痛みはまったくと言っていいほど感じません。結局、坐骨神経痛って何だったのか。50肩と一緒で一過性のものなのか。老齢になると、必ず通らなければならない関門なのでしょうか。
 胃の切除をしたあと、悩まされたのはダンピング症状です。食道と小腸を直接つないだので、その吻合部が時間の経過、治癒するのにつれて肉が盛り上がり、管の内部が狭められ、飲食ができなくなりました。口でどんなに細かに咀嚼してもやはり吻合部でひっかかり、嘔吐せざるを得ない状態でした。
 そこで、先週金曜日に再び医師に相談し、翌土曜日に吻合部の穴を広げる”施術”を受けました。この施術もそれなりに大変で、前日から食事制限され、麻酔を打たれ、そして内視鏡を使っての作業でした。術後、吻合部の拡大で出血したと見られ、麻酔が切れると、しばらく内臓に痛さを感じました。
 でも、この施術を受けて食道の通りはよくなり、以後、ダンピング症状はなくなりました。自由に飲食ができるというのはなんと嬉しいことか(まだやわらかいもの中心ですが、、)。また、改めて普通の生活ができることの素晴らしさを実感しました。

 上の写真は、小生が大学に行くときに持って行く昼食の弁当。ビスケット、バナナ、チーズ、野菜ジュースとやわらかいものばかり。右のいたずら描きは、「自分は胃がないのだ」と自覚するために弁当箱に入れている自戒のための絵。