つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

議員なら、表現方法が大事だ

 自民党大西英男衆院議員が自分が所属する派閥の会合で、北海道の衆院補欠選挙の応援に行った際、現地の神社の巫女さんから「自民党は嫌い」と言われたエピソードを紹介、この件に関して、大西氏は議員仲間に「巫女さんのくせに何だと思った」と発言したことがメディアで大きな問題になりました。
 大西氏はかつても「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番」などと発言、舌禍事件を起こしやすい議員として有名な方です。まあ、彼はもともと言葉に対するデリカシーがなく、胸の中の思いをストレートに出すタイプなんでしょうね。同じ派閥議員という身内の場だから安心した面もあったのでしょうか。
 ですが、メディアのカメラが回っていることを認識できたのなら、要注意でした。メディアは片言隻句をとらえて批判しようと鵜の目鷹の目で狙っています。ましてや、大西氏は舌禍の常習者なのですから、”美味しい”対象です。それを理解できないとしたら、大西氏は相当鈍感です。それとも、まさか話題になることを狙った確信犯なのか。
 ここで改めて大西発言のどこが問題なのか、考えてみます。大西氏は、保守色の強い神社庁に勤めている人間なら当然自民党支持だろうとの認識を持っており、それにも拘わらず当該の巫女さんが意外にも自民支持でないと分かって驚いたという観点で話したのでしょう。その見方はごくごく普通であるし、その趣旨の発言を身内の席でするなら許されることではないかと小生は思います。
 問題は、「〜のくせして」という表現方法にあるのではないでしょうか。辞書を引くと「〜のくせして」というのは「〜癖して」と書き、単に「〜なので」とか「〜にも拘わらず」の砕けた言い方に過ぎないとのこと。ただ、語感は非常に乱暴な印象を与えますし、「くせして」のあとに「何だ」と加えたのはさらに乱暴感を強めています。で、メディアは「舌禍の大西がまた」とばかりにそれに飛びついたというわけです。
 例えば、大西氏が「巫女さんなら当然自民党支持だと思っていましたので、彼女が自民党は嫌いだと言ったのには驚きました」とか「巫女さんなら当然自民党を支持してくれると思っていましたがね、、」程度であったら、メディアは取り上げたかどうか。表現方法は怖い。一つひとつの言葉の選択は大事であり、特に議員であれば尚のことです。
 話はちょっとずれますが、自分は普通に話していると思っていることでも、ある言葉で相手を不快にさせたり、時には怒らせたりすることが小生の経験からもあります。逆に、自分も他人のふとした言葉が気になったこともありました。「もの言えば唇寒し秋の風」ということにならないよう、言葉にはデリカシーを持たなくてはなりならないと今一度肝に銘じたいです。

 上の写真は、根津神社の境内。伏見稲荷の赤鳥居トンネルを彷彿させるようなところがこの神社にもありました。