つれづれなるままに-日暮日記

現世の森羅万象を心に映りゆくままに書きつくる。

やはり気になる若者言葉

 昭和生まれ、しかも戦後間もなくの団塊世代としては、若者の話し言葉にどうしても抵抗を感じるものがあります。その代表例はつい最近まで「チョー(続いて副詞、形容詞、場合によっては名詞も)」でした。水泳の北島選手が「チョー気持ちいい」などと使って有名になったあの表現です。
 でも、不思議なことに、最近、この言葉にあまり抵抗がなくなりました。それほどポピュラーになっているし、中年世代まで使うほどにこの言葉自体がすでに”古い流行語”になってしまったせいかも。あるいは「チョー」は英語の「very」であり、「ものすごく」「たいへん」などの副詞に置き換えればいいのだと思うようになったのかも知れません。小生自身は使いませんが、、。
 最近、電車や飲食店などで若者の話を漏れ聞くと、「私の中では…だ」という表現がよく出てきます。プロ野球選手らスポーツ選手がインタビューなどで使うのを知っていましたが、なんだか違和感がありますね。単に「私は…だ」とか「「私は…と思う」とか「私の気持ちは…だ」などと言えばいいものを、なんで「…の中では」などと言うのか。「中」とはいったい何の中なのか、皆目分かりません。
 また、これもチェーン店のアルバイト向けマニュアル言葉だと思いますが、支払いのときに「5000円からお預かりします」と「から」にするのもヘンです。単に「5000円をお預かりします」でいいし、あるいは「を」という助詞を抜いて単に「5000円お預かりします」でも結構です。「から」という起点を表す言葉を使う意味が理解できません。
 注文した品物を紹介するときに、「こちらが…になります」というのもまたまたヘン。「こちらがご注文を受けた○○ラーメンです」と言えばいいものを、なぜ「○○ラーメンになります」などと言うのか。「なります」とは普通「酸素と水素で水になります」というように変化を表す言葉であって、断定の表現ではありません。
 小生、マスメディアで整理部のデスクをしていた経験もあるので、「食べれる」「着れる」などの「ら」抜き言葉も気になります。若者たちの間では、すでに「ら」抜き言葉が定着しているせいか、内人は若者に迎合するようによく使います。文科省傘下の国語審議会も一応認知しているらしいのですが、小生は語感が悪いので使いません。
 イントネーションも気になります。「こちらにどうぞ」という言葉などは、後ろに行って音が下がるのが普通ですが、若い女性は「こちらにドーゾ」と後ろに行ってだんだん音が高くなる言い方をします。これも恐らくチェーン店のアルバイト向けイントネーションでしょうが、心のこもらないマニュアル表現の感じがしてちょっと耳障り。
 言葉は時代とともに変化すると言われており、小生もこれを否定するつもりはありません。世代によって新しい言葉が次々に生まれるのは当然のことです。でも、「から」や「なります」のように本来の意味とは違う誤用がまかり通るのはいかがなものか。うそも100回聞けば本当にに感じるように、そのうち誤用が正式なものとして認められてしまうかも知れません。怖いことです。

 上の写真は、横浜みなとみらい地区の公園から見たベイブリッジ